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赤塚不二夫ふたたび(6)


赤塚マンガの”ナンセンス・ギャグ”の裡には、アメリカンコメディとともに、江戸の諧謔精神、落語、浮世絵洒落絵の精髄が息づいていることもまた確かだろう。
面白いことに「120%」の巻末の立川談志との対談のなかで、志ん生に触れて、当時その落語は、その突拍子もない展開(つまりディペイズマン)によって「ポンチ絵派」すなわち「マンガ派」と蔑まされたのだと、談志。そして「冗談じゃねえ、そっちが落語の本質なんだ」と。



「ポンチ絵」=マンガ。ちなみに突っ込んで調べるとチャールズ・ワーグマン(私にとっては「水彩」という専門領域の関係で明治期の水彩画ブームの発端ともいえる存在として馴染み深い名前だった)、幕末期に「イラストレイテッド・ロンドンニューズ」という絵入り新聞の特派員記者として来日し、日本最初期の油彩/水彩技法の伝授を為すも、同時に居留地横浜で「ジャパン・パンチ」を刊行し、その諷刺画が日本近代漫画の祖となったという話。「パンチ」というのは英国の有名な絵入り新聞。

ようするにカリカチュア/諷刺画-コミックの檜舞台としての新聞という伝統が欧米にはある。「ジャパン・パンチ」はその日本版というわけなのだ。その「パンチ」の絵転じて(訛って)、ポンチ絵となったというわけだろう。おそらくは「平凡パンチ」の源流?でもあり、ひょっとして「イカレポンチ」の語源?でもあると思うのだがそれは余談として。
ワーグマンはそもそもアカデミックな教育を受けた画家だったのであり、生活のためにジャーナリズム/諷刺画(コミック)に携わったと見える。そのワーグマンが日本の近代洋画家の育成に貢献したのと同時に、じつに「日本近代漫画」の祖であったとは、、じつに因縁めいた話でもある。





市民革命以降の政治権力の見張り役としての諷刺画。諷刺画の巨匠にしてフランス・リアリズム絵画の立て役者ドーミエが真っ先に想起されるところであるが、ゴヤ-ホガース-ドーミエと繋がる政治世相諷刺の伝統は、つまりコミックのジャーナリズムとしての伝統と繋がる。欧米の歴史文脈において、マンガ家がコミック・アーティストすなわち「芸術家」であること、コミックが娯楽のみならず、れっきとしたアートの一ジャンルとして扱われることには、そのことが深く関係するように思われる。
たとえば、マレーシアのマンガ家で、アジアで一番有名なマンガ家と呼ばれるラット。少し前にNHKの再放送で、アジアの教育を考えるという趣旨の特別番組を見たのだが、そこでパネラーとしてよばれたラット氏がアジアにおける民族対立に触れて「われわれマンガ家を含む芸術家が、メディアを通してその仲介者にならなくてはいけない」という趣旨のことを述べていたのが印象的だった。その発言の内容もさることながら、とりわけて印象的だったことは、ラット氏にとってはマンガ家イコールなんの衒いも疑いもなく芸術家(アーティスト)であることだった。それはラット氏の個人的な業績の自負から来ると言うよりも(もちろんそれもあるだろうけれど)、英語圏(あるいは欧米文化圏)におけるCOMICの歴史的文脈から来るものが大きいと考えられる。つまりマンガ家=COMIC ARTISTというのには、政治世相に対して主体としてもの申す「市民」の来歴が内包されている。
あるいはまたTHE BOOKたる聖書の伝統、中世装飾写本における、テクストを光り輝かせるイルミネーション(装飾)とイラストレーションの関係、そのゴシック彩色画がルネサンス絵画につながってゆくところ、あるいは西欧伝統における建築としての書物というあたり、オランダ富裕市民層においての銅板画(浮世絵に影響を及ぼしている)の異様な発達、等々、欧米コミックの文脈のうちにある含みは、「聖俗」併せ呑んで相当に深そうだ。



近代絵画にせよ、近代漫画にせよ、そのおこりは、西欧における「市民革命」だったのであり、ARTSITの語にはその表現が高度に洗練されているか否かという問題とともに、自律的な主体として「発言/表現」しているか否かという課題(試金石)を含んでいる。欧米の歴史文脈からいけば、好むと好まざるとにかかわらずマンガ家=COMIC ARTISTなのだ。そしてそれはひとつの抑圧装置であり、逆にその機構すなわち近代社会性(あるいはイコンの歴史性)から限りなく自由な日本のマンガの、「無意識」の(への)深みが欧米文化の文脈から行くと、--本人にそのつもりがなければないほど--まさにとんでもない”アヴァンギャルド”として映る。それだから、逆に日本のMANGAはARTの文脈において、”革新者”の地位を得ながらも、日本国内にはその革新の意味を記述するための概念構成(歴史性/社会性)がない。そして、あるいは「なかったのだ」ということに人々が気づきはじめている。


いまどき「市民」と言えば、すかさず「香ばしい」の一語/シニシズムが伴ってくるご時世ではあるが、それゆえ、日本におけるマンガ家/芸術家の関係は、つまり日本社会においての「市民」というものの「考えられなさ加減」において、なんともキレの悪い不明瞭さを伴うと言ってもいいのだろう。
さらに、シニシズム(冷笑主義)と言えば、今日”イズム”としてもっとも猛威をふるっているのはそのシニシズムであるかもしれない。不可避ともいえるあらゆるものごとの相対化にシニシズムが嬉々として(まさに冷ややかな/生暖かい笑いとともに)付き添う。

すくなくともコンテンポラリーアートにおける”過去としてのモダニズム”の諸流儀の扱いには、シニシズムが付き物であるともいえる。つまりきょうび自律的な絵画/彫刻あるいは歴史変革の自己主体としての近代主義的な芸術家/作品表現の概念/イメージは、ある種冗談のようなものとして映るのだが、しかしコンセプチュアリズム/シュミレーショニズム、メディアアート/インスタレーションと、どれだけ表現が”キャンバス””額縁”から逸脱し、あるいは”表現”などという近代芸術の遺物には縁がないと言い張ってみたところで、「表現する主体」という枠から出れるわけではない。脱芸術とは、まさに出ているつもり(シミュレーション)であり、その「つもり」の洗練の度合いが、いわば”CPU/処理速度”において競われるわけだが、私の興味はそこにはほとんどまったく向かわない。そんなに「脱」したきゃ、いっそ芸術の話題が上らないところにいればいいではないか。というか、そもそもマネとモネの区別もつかない現場にまみれてみればいいのだ。私は上野公園の一大ホームレステント場を通るたびに、川俣正の「アートフル/アートレス」の概念(無批判な制度的な「芸術」の横溢(full)に批評としての禁欲(less)が対置される)を思い起こし、「アートフル、、ホームレス」とひとりごちる。芸術の森のホームレス・テントにおいては、「アートフル/アートレス」は実際、そのまんますぎてシャレにならない。(川俣正の活動にシニシズムは希薄だが、またユーモアも希薄だ)

「脱芸術=ゲンダイビジュツ」の祖といえば、なんといってもマルセル・デュシャンであり、コンテンポラリーアートのシニシズムの祖としても考えられるわけだけれど、デュシャンのキャリアが新聞へのマンガの寄稿から始まっていることをご存じだろうか?そういえば、デュシャンの発想というのは、どこかマンガ的なのだ。
だいたい、美術館に”便器”の出品を企てるなんて言うのは、きわめて”ギャグマンガ”的(こういってゆるされるならバカボン的)だといえるのではないか?そして後年、そのレプリカを皆でしかつめらしい顔で拝んでいること自体が。(そこで「用」を足しているバカボンのパパというのが思い浮かんでしまったりして)

*
さて、あるいはまたひきつづきの飛躍を許していただきたいのだけれど、かのミケランジェロのシスティナ礼拝堂の天井画にも諷刺-諧謔の笑いが目立たぬ端々に見受けられもするのだった。それは教皇権力への不服従、笑い飛ばしであるとともに、実に「美とグロテスク」という問題構成をよびさましもするだろう。

システィナ礼拝堂の、天井画というより「ルネッタ」と呼ばれる半円形の壁画部分に「キリストの先祖」と題されたシリーズが展開しているのに、私はつい最近まで着目したことがなかったのだが、その目立たぬ場所におけるミケランジェロの表現は、表舞台のギリシャ・ローマ哲学/キリスト教神学の混淆たる激しく身を捩る崇高性から遠く隔たり、”家庭の悲劇”たるほとんど「ダメおやじ」のような世界が展開されているのに少なからず驚かされる。夫婦(父-母)/子、王/王子、つまりはカップル/親子という人間家族関係の基本が「キリストの先祖」の物語として半円形の左右に対比的に取り扱われているのであるが、そこでの、とくに王/父親/夫の表情の情けなさ、滑稽さといったらない。まさにマンガとしかいいようのないまでに、くだけたミケランジェロがそこにいる。天井(天上?)の理想漲る肉体美/精神美の世界から一転した地上の惑い。その対比は劇的であり、私はそこに絵画のまさに「ベース(base/bass)=基礎/基底音」としてのマンガ(コミック)を見る。とともに、ミケランジェロはイデアリズムの芸術家ではない、と私は見る。いや、イデアリストでありつつ、リアリストというべきなのか、このうえもない健康美に満ちあふれた溌剌堂々たる王道を描き出し(彫りだし)つつ、ミケランジェロは目立たぬ場所でこのうえもなく人間くさい(俗っぽい/泥臭い)愚痴をこぼしつつ、情けなさ極まるくたびれ果てた嘆息をもらす。しかしながら、それこそがユーモア(ヒューモア)であり、ユマニテの実現というものではないだろうか?まあ、愚痴と嘆息に明け暮れていているだけでは、けしてユーモアには至らないということであるのだが、、。



「美」に対比されるグロテスクとしての「笑い」。ゴシック聖堂を飾る奇怪な悪魔怪物群、なにかとシュルレアリスムと関連づけられることの多いボッス、ブリューゲル、アルチンボルド、奇想の画家達を想起してみる。デフォルマシオン、メタモルフォーゼの問題と重なりつつ、ヒューマニズム(人文主義)の精髄としてのユーモアという問題も実にミケランジェロやボッスにおいては濃厚に嗅ぎ取られ(ラファエロには明らかにユーモアが欠けている)、また古典主義的な「美」の底流を流れるものとしての「グロテスク」(その語源はグロッタ=洞窟---子宮/内臓へと連想が働く)というあたり、つまり「美-グロテスク-デフォルメ-笑い」の連関性は、そこへ「装飾-芸術」の対比論も相交えてマンガ-芸術論的にけして見逃せないところである。グロテスクの問題は「オタク」カルチャーに濃密に露出しているところでもある。

それでまた、ギリシャ・ローマを源流となす古典主義美学からは、まとめてグロテスクとして映るアジア極東、日本における「笑い」であるだろう。しかし、そのグロテスクは、ミケランジェロの彫刻の細部に、壁画の目立たぬ場所に、随所に見受けられ、まさに噛み殺された笑いとして、ときに底暗い「黒い笑い」として西欧近代芸術の底でふつふつとたえず沸き立ってきたのだった。



*
「笑い」とはまさに運動。それはまさに「性」に似て、本能的なカタルシスの運動であるとともに知性の運動でもある。自分にとって、非常に「無意識的」なものであったマンガ/赤塚不二夫に、今回突っ込んでみて得られたのは、その笑い/マンガにおける本質として「運動性」の視点(蕩尽伝説/蕩尽亭さんによる)と、そこにおける両義性(身体生理と知性との)、そして多次元性についてだった。

19世紀末から20世紀の初頭に起こった芸術運動/パラダイムシフトの意味、つまり印象派-セザンヌ-ピカソ(キュビスム)/マティス(フォーヴ)の流れのなかで行われたのは、つきつめるならばイリュージョニズム(伝統の慣性)の切断による、リアリティ生成における、そして「モダン」という事態においての「多次元性」の開示であったともいえる。

西欧絵画の”終わり”において20世紀の新芸術たる写真/映画/マンガ/アニメは始動しているのであり、逆向きに言えば、19世紀末から20世紀初頭に投げかけられ、抽象表現主義に引き継がれていく絵画のイリュージョニズム(錯視効果)への根底的な疑いの問題、それは、つまり絵画/彫刻から追い出された「イリュージョン」の転居先たる「写真/映画/マンガ/アニメ」においては極めて素朴に信じられてきたのであり、ちょうど19世紀末から20世紀初頭に絵画において起こったような革新が21世紀初頭のいま、「写真/映画/マンガ/アニメ」に起こりつつある(起こらざるを得ない)のではないか?つまり多次元性の無意識(自明性)における意識化の問題として。
そのことはだから、ポップミュージックを含むサブカルチャーの無意識における、意識化の問題、「父との再会」の問題---逆向きにはハイカルチャーの側のポップへの接近融合(母子との再会)---として私には感じられるのだけれど、それが19世紀的な意味での「父の復権」を意味するのではないことは、たしかであり、アメリカ/ブッシュの原理主義体制はその文字どおりの笑えない戯画になってしまっている。「イリュージョン」を「悪」として徹底的に排除しようとした抽象表現主義-ミニマリズムのいわば「クリーン作戦」の「白(イリュージョンの零度)」の発見の由来と意義というのは厳密に問われなければならない。その「白」の否定も、その「白」への盲目的信奉と同様、また愚かなことなのだ。
あるいは「19世紀=父(一なるもの・始祖/創始)」「20世紀=母(二なるもの・反映/反発/多産とそこにおける零度の発見)」「21世紀=子(三なるもの・自立/創造)」の、いわばトリニティ(三位一体)の弁証法的問題として感じられもするのだが、それはあくまでも試論のなかの試論として。



赤塚不二夫論のつもりが、ずいぶんと飛躍してしまった。

ところで、うかつにもある時点で私は赤塚マンガの本質を「反知性主義」と結論づけてしまっていたのだが、「赤塚不二夫120%」という回顧録は、ほとんど自分が与えた影響に対する悔恨ともとれなくもないような、晦渋を伴う仕方で「笑い」にいかに知性が必要か、いかに自分が真面目に理性的に「笑い」を探究してきたかという話で満ちていた。

その発刊当時(99年)のあたりの、「明石屋さんま」に代表される、客を笑わせる前に自分がゲラゲラ笑ってしまう安易な芸の横溢に苦言が呈されるのだった。談志との対談において、ギャグのパイオニアのほとんど「ぼやき」ともとられかねない、当時昨今の「さんま/吉本」の無知性な笑い(スタッフ笑い)の横溢にたいする嫌悪に対し、「高度な笑いを求めるなんていうのはしょせんエゴかも知れない、ほっとけばみんなあっち(さんま)の笑いに行ってしまう、まあでもそれが自然ってもんかもしれないよ」という風に諭す談志にしても、でも俺は高度な笑いを目指し続けるけどな、ということであって、そこに妥協はない。あたかも現代美術論を読むような赤塚不二夫/立川談志のかけ合いなのだった。

赤塚マンガは、20世紀前衛芸術のハイブリッドであるとともに、言ってみればそれは諧謔とユーモアの交差点であるように思える。60年代の革命とギャグの炸裂は、まさに同期しており、そこは洒落/粋/諧謔とユマニテが融合する地点でもあった。そしてその後の「近代/市民」への絶望と、シニシズムと楽屋落ちの笑い(両者は異質を結ぶ共感ではなく内輪に向けた集団的な「分離の笑い」という点で共通する)の蔓延という今日的な事態に際して、混じり合いの地点を見つめ直してみることはけして無益なことではないと思える。
今日のシニシズムの切断と分離は、やみくもに起こってきているわけではない。
いまどき諧謔とユマニテの伝統保存会をやってみてもラチはあきはしない。そして、「反伝統」していても、もっとラチはあかない。

分かれつつ、繋がる。繋がりつつも分かれている。創造はそこに生じるのだろう。「父」か「母」か、どちらかにくっついていけば安心と言うものではないだろう。

第一、分かれてないもの、独り立っていないものは、交わりえない。結びつきえない。

(了)
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