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赤塚不二夫ふたたび(4)


現代マンガというのは、---赤塚マンガに限らず---、ヒューマニスティックであると同時にマシニックなものだ。赤塚マンガに限らずというより手塚マンガに端を発し、赤塚/藤子/石の森によって画定した現代マンガの基準線において、描画の徹底的な合理化、管理化が行われる。極端な場合、月に10本ちかくも連載を抱えるマンガ家において、プロダクション化は必至の事態であり、アシスタントによる流れ作業が常態となる。キャラクターの顔、コスチューム、手足の表情はパーツ化され類型としてストックされる。たとえば顔の輪郭のどこからどこまでが一本の線で描かれるべきか、そこまでが管理化されているといってもいい。それだからマンガにおけるデフォルメには製品として一定の品質を保つためのマニュアル定型づくりという側面があったはずだ。

逆にいえば「オタク」的興味とは、一定/ニュートラルであるはずの品質管理における微妙な差異/ゆらぎを見逃さないことによって、生じてくると言う気がする。

たとえば、経験的に言うと、子供の頃夢中になった「巨人の星」のアニメ版において、プロダクション体制のなんらかの事情によって、回毎に描画のテイストが別物になるということがあった。好みのテイストの回と好みでないテイストの回とでは、まったく観る気分が異なってくる。そうでなくとも球場の観客の描写のされかたとか、球を投げてからバッターボックスに届くまでの時間がなんでこんなに長いんだとか(笑)、あらゆる細部、枝葉末節が気になりだして、とまらなくなる。そうして気がつくとヒトは「オタク」と呼ばれるに至るのだろう。私はその道を選ばなかったけれど(と自分では思っているのだが、、、)。おそらく「オタク」というのは日本の「近代化」というOSにバンドルされていたのだという気すらがする。「近代化-モダニゼーション」という事態自体が「オタク」を製造せずにはおかないのだ(それを支えるためにも)。その「産業化-情報化」という事態における合理化、専門特化の問題と共に、ヒトはそこにおいて動くもの、”ゆらぎ”微細な”差異”にこそ反応するのだから。

またマシニック(機械的)の意味には、手塚-石森章太郎/松本零士のラインによる延々と続いてきた未来的メカトロニクス-サイボーグの主題構成が内包されるわけだが、それについては私はあまり語るべき言葉を持たない(「サイボーグ009」やタツノコプロの「ガッチャマン」は大好きだったけれど)。むしろ関連して、モダニズムという事態において、日本には「モダン」の巨匠が存在しなかったという説に対して、手塚治虫、トキワ荘出身の巨匠たちの名を挙げると共に、「日本のモダンマスターズの固有名としての”ソニー・カワサキ・ホンダ”」という仮説というか仮題を提出してみたい。

いや、たとえばソニーのウォークマンなしにiPodがありえるかという類のことがあるにせよ、ここでことさら「ソニー・カワサキ・ホンダ」に拘りたいわけではないのだが、クルマや電化製品のモデルチェンジ、それは言ってみればデフォルメ、メタモルフォーゼであり、現在それをもっとも強く感じさせるのは(というか一番分かり易い例として挙げるなら)、マッキントッシュのコンピュータにおける、「意外性」にみちた劇的なモデルチェンジ(新作発表)であるかもしれない。

あるいはまた飛躍して言えば、たとえば非常に今日的な問題である”美容整形”というのは、それこそマンガ論的観点からいけば、つまりは”逆デフォルメ”であると言えなくもない。デフォルメというのはフォルムのデザイン、リデザイン(デザインし直し)という、要は「アート」というより「デザイン(/ファッション)」の領域での、モードチェンジの支柱となってきたのだ。

ここで、アートにとりデザインとはなにかという問いが生じる。絵画と彫刻を切り捨てたアートはフォルム(すくなくとも有機的フォルム)への関心を失わざるを得なかった。フォーマリズム(フォルマリスム)とは、絵画/彫刻の自律性における形式(フォーム)の概念デザインであったわけだが、そこから「イメージ」が不純なものとして追い出されるにいたって、フォルムの問題は支持体(キャンバス)の矩形、その分割の問題になってしまう。描かれるべき対象というものがなくなるのだから。そうしてイメージにおけるフォルム/デフォルメの問題というのは無意味化され(つまり遠近法の錯視空間のグリッドにおけるモデリング/オブジェクトマッピングの問題が無意味になる)、絵画は茫漠としたカラーフィールドにおける体験の質の喚起性の問題というところまで行き着く。しかしそこから追い出された「不純なるイメージ」/フォルムの問題は同時に、デザイン/サブカルチャーにおける第一義の課題として、ハイテクノロジーに裏付けられ、フォルムの合理性とともに多様性、その変幻性、機能的進化が突き詰められて行く。

現代マンガ(コミック)/アニメはだから、ある種の工業としての性格を分有しつつ、「ファインアート」にたいして「イメージ/イマージュ」そして失われたストーリーを投げ返すことになる。
アートにとりデザインとはなにか?つまりそれは並置するジャンルの問題ではないのであり、非商業主義(アート)vs商業主義(デザイン)というのはじつは偽の対立でしかないとはいえないだろうか。アートにとりじっさいにものと触れあう”デザインdesign”(=語源的にデッサンdessinと同義)は根本的な柱であって、それを失ったアートは倒れるほかない。フォルムの脈動を失うからである、と。

*
また一方で、赤塚不二夫以降の日本現代マンガは「色彩」の感覚を育ててこなかったという問題があると思う。 日本の現代マンガは色彩を犠牲にして成り立ってきた、と。 そのことはリテラルに言えば現代マンガの主要媒体たる分厚い少年雑誌においては、巻頭グラビアページの数ページを除き、モノクロ印刷(ないしは2色印刷)が完全に主体であったことに起因する。
その色彩を切り捨てた条件において、コマ割りの展開そして描線の極めて高度な洗練が、あるいはスクリーントーンの高度な技術が発達したともいえる。それは日本現代の工業化社会における、非常に過酷な条件下でのある種のノウハウの異様な発達というのとシンクロすると言っていいと思う。逆向きに言えば、たとえばフレンチ・コミックのような高度な色彩の芸術的洗練を為し得る社会の余裕があったなら、日本現代マンガはそれほどの爆発力を持つには至らなかったのではないかという見方もできるだろう。

それにしても日本現代マンガの”色”に対する無神経さについては、西欧絵画を通過したオーソドックスな絵画観から行くと、ある種耐え難いものがある。しかしながら、そのへんの「分岐」がまた”問題”になってしまうというのもあるのだが、、。
ともあれ、概観的に言って実際戦後日本のプロダクツにおける「色彩」への無意識ぶりというのは、非常に深刻な社会的影響を引き起こしてきたと思える。社会生活における色彩(現代的な色彩計画)の重要性が一般的な次元で認識されだしたのは、この10年あまり、印象的に言えば、昨日今日のことに過ぎないのではないか。

マンガが色に目覚めたとき、それはコミックと呼ばれる、という言い方もできなくはない。絵画論的にいえば、途方もなく洗練された自国の色彩伝統を持ちながら、西洋絵画技法における、対象のボリューム(量感)をマッス(塊)として捉え、線ではなく「面」によって把握し、色彩によってデッサンするというヴェネチア派-印象派的な方法論への理解が決定的に日本の戦後の美術状況に欠けているために、というか効率的な意味において「型-フォーム」だけが、異常な論理的発達を遂げたが故に、色がフォルムとは無関係な一番最後の「塗り絵」の問題になってしまうという独自の弱点があり、それがマンガに限らず、プロダクツの様々な場面で悪影響(というかそれを悪影響とも感じられないような徹底的な感覚麻痺)を及ぼしてきた。逆に欧米的な色彩作法からいけばけしてありえない日本現代のプロダクツに氾濫する極めて「生(なま)=無秩序」な色彩の感覚が、欧米人には恐ろしくぶっ飛んだアヴァンギャルドとして映るということもあるだろう。

マンガからコミックへ、というのはまたオタク論的な射程を孕むのだろうけれど、当然アニメのことも含み、マンガと色彩というのは、”赤塚不二夫以降”において、放置された問題でもあり、今後、非常に可能性を孕んだことがらであると思われる。
(つづく)
| 考え | 18:55 | comments(3) | trackbacks(0) |
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ショートコメント
| キー | 2008/08/05 1:32 AM |
>― いったい今、「美術」は何処を歩いているのだろうか?

「美術」は人の数だけあり、人の行けるところ、至るところを歩いて
おり、夜眠りにおいて夢見、働き、歌い、踊り、眺め、見入り、味わ
い、嗅ぎ、耳を澄まし、描き、書き、彫り、つくり、組立て、考え込
み、笑い、怒り、泣き、落ち込み、酔い、狂い、いがみ合い、いばり
くさり、ふんぞりかえり、虐げられ、慰め合い、走り回り、静かに座
り、ときおり、うたた寝をし、また夢を見、息を弾ませ、交わり合う。

イデア界
    浮き世に迷い
          花の色
| d | 2005/02/19 11:38 AM |
残寒お見舞

― いったい今、「美術」は何処を歩いているのだろうか?


       梅の香に
          一人浮世を
              忘れけり
         


    
| かまくら 安 | 2005/02/18 11:30 PM |









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