L i v i n i t y 2021-01-16T11:58:06+09:00 <living x unity> JUGEM **** http://livinity.jugem.jp/?eid=102 2007-05-31T22:37:58+09:00 2007-05-31T13:43:08Z 2007-05-31T13:37:58Z Flickr d Flickr]]> 最終回のおしらせ http://livinity.jugem.jp/?eid=101 2005-02-25T18:08:45+09:00 2006-02-12T17:00:53Z 2005-02-25T09:08:45Z
唐突ですが、誠に勝手ながら今回をもって当ブログ、最終回となります。
端的に、このままこの密度でブログ書きを続けると生活が成り立たなくなる/いくつかの現実的な計画が実現にいたらない、という理由からです。どっぷりと集中したいものごとがいくつかあるので... d
唐突ですが、誠に勝手ながら今回をもって当ブログ、最終回となります。
端的に、このままこの密度でブログ書きを続けると生活が成り立たなくなる/いくつかの現実的な計画が実現にいたらない、という理由からです。どっぷりと集中したいものごとがいくつかあるのです。
まあ、逆にブログは薄口で淡々と、という手もあるのですが、ハマりやすい&執拗な体質なんで開けてる限りつい濃厚に行きたくなってしまう。スパッと切る次第です。
思えば去年の8月25日からはじめたこのブログ、ちょうど半年目です。前回が100番目のエントリーで、今回は101。どうせなら101匹わんちゃんで、、というのは意味不明ですが、終わるにはキリがいい。除夜の鐘式に煩悩百八つまでやってもいいかなんて思ったりもしたけれど、悠長にやってられない、いま待ったなしのとこなのでした。
最初はおっかなびっくりで、ブログというものに関わってみて半年、欲をいえばきりがないのですが、すくなくともアタマの地均しは出来たようにおもいます。お陰様でいろいろと勉強になりました。
まとめというわけでもないですが、前回のマンガ論の〆にまた新たに深い示唆に富んだコメントを頂いたので、そこに絡めて、最後にふたことみこと。
結局の所、このブログで考え続けてきたことはといえば、ひとこと”芸術/文化”をめぐっての様々な問題であったわけですが、そこで19世紀/明治をひとつの基点として、それ以前のありようと来歴、またそれ以後のありよう、日本近代のうちにある捻れとコンフリクトを読み解いてゆく作業でもありました。
やはり焦点として今日の高度情報化の、とてつもなく錯綜した(末期的/末世的ともいえる)状況における芸術/文化なるものの行く末、ということになってきます。それは見物を決め込めるような対岸の火事では全くなく、現に手中にあるものを、どう育てていくか、顔つき合わせているものとどうつき合っていくかという「待ったなし」の問題に他ならない。
逆にいえば、このホリエモンな時代において、いまだ芸術とか文化とかいう「近代」の遺制に拘っているのは、おかしいんじゃないか?という見解がありえます。コンピュータ、経済、芸能、スポーツ、つまりお金とパソコンとエンターテイメント(サービス)があれば、別にいいじゃん、芸術とか文化とか重苦しいこと言わなくたって、と。ま、それはそれでいいとしかいいようがない。と同時にそれは似非芸術/似非文化に対する、試金石/ふるいともなるわけです。大衆化/情報化/シニシズムの極まりに置かれたとき、すごすご引き下がるしかないようなもの(芸術/文化)は、由来(依って来るところ)がどうであれなんであれ似非であると。考え抜かれていない、やり抜かれていない、そんなものはとくに擁護するに足らない。顔洗って出直すしかないわけです。そういう厳しい峻別の時代なわけです。
スーパーフラットとは、全員集合ならぬ全員平等(全部平等)という言ってみれば汎神論の極みであるわけですが、旧秩序が軒並み覆されていく中でのあらたなヒエラルキー形成/階級格差の問題というのは見過ごされがちで、「フラット」という言葉に誤魔化される所でもあると思います。
ようするに市場の原理によって、ありとあらゆる異質が、まるでiPodに放り込まれた曲-ファイルのごとくシャッフルされ、めまぐるしい異種遭遇にさらされるわけですが、それを凄まじく便利でスマートな絶望的な最終地点であると観るか、通過地点/プロセスとして観るかで、大きく物事は変わってくると思います。私はプロセスとして観ています。「情報化」の問題は「光」「多次元」の問題におおいに関わると私は観ますが、その探究はいまだ端緒についたばかりではないでしょうか。
20世紀初頭に学術/芸術エリートたちが問題にしていたことを21世紀初頭ではハイテクノロジーの恩恵でフツーに取り組んでいるともおそらくは言え、その「フツー」における「無意識」が逆に問題なわけです。ハイテクノロジーのスーパーフラットな外観に惑わされて、それが生身においては非人道性極まる過酷な格差/差別/偏見として現れていることに気づかなければならない。
蕩尽伝説さんのほうで、先日「古典の揚棄」という問題が提出されました。そしてコメント欄にて「かまくら 安」さんのほうから、孫次郎の能面 と四谷シモンの人形 が呈示されました。そこには一見して芸術としての完成度、美の峻厳という意味で、古典を凌ぐモノを作り出すことは現代人には能わない(のだろうか?)という問題があります。
「能」の世界の分析は、ここではやりようがないですが(そもそもその能に関する教養もないので)、今の時点で私に言えることは「古典の揚棄」という問題に際しては「多次元」の混淆の質の問題、「光」に対置され「闇」と呼ばれているもの、つまりは物質性、「元素」的な力の問題こそが極めて重要になってくるのではないかということです。あるいは「間」や「魔」ということ。逆向きに言うと、情報/光/多次元の問題に際しては、日本のであれ、西欧のであれ、「古典」それを成り立たせている材質(樹液、鉱物、植物繊維、等々)、宇宙観/身体性への眼差しがひどく重要になってくるのではないかということです。あるいはリズム/文様、アフリカ的なものへの。手短に言いすぎですが、また始まってしまうので(笑)。
そんなところです。
livinityにおつきあい頂いた皆様、本当にありがとうございました。
時期が来たら、またなにかしらオンライン上でやるかもしれません。
それでは、ごきげんよう。
#しばらくはこのブログはアーカイヴとして残しておきます。
]]>赤塚不二夫ふたたび(6) http://livinity.jugem.jp/?eid=100 2005-02-24T14:14:33+09:00 2006-02-12T17:00:58Z 2005-02-24T05:14:33Z
赤塚マンガの”ナンセンス・ギャグ”の裡には、アメリカンコメディとともに、江戸の諧謔精神、落語、浮世絵洒落絵の精髄が息づいていることもまた確かだろう。
面白いことに「120%」の巻末の立川談志との対談のなかで、志ん生に触れて、当時その落語は、その突拍子... d 考え
赤塚マンガの”ナンセンス・ギャグ”の裡には、アメリカンコメディとともに、江戸の諧謔精神、落語、浮世絵洒落絵の精髄が息づいていることもまた確かだろう。
面白いことに「120%」の巻末の立川談志との対談のなかで、志ん生に触れて、当時その落語は、その突拍子もない展開(つまりディペイズマン)によって「ポンチ絵派」すなわち「マンガ派」と蔑まされたのだと、談志。そして「冗談じゃねえ、そっちが落語の本質なんだ」と。
「ポンチ絵」=マンガ。ちなみに突っ込んで調べるとチャールズ・ワーグマン(私にとっては「水彩」という専門領域の関係で明治期の水彩画ブームの発端ともいえる存在として馴染み深い名前だった)、幕末期に「イラストレイテッド・ロンドンニューズ」という絵入り新聞の特派員記者として来日し、日本最初期の油彩/水彩技法の伝授を為すも、同時に居留地横浜で「ジャパン・パンチ」を刊行し、その諷刺画が日本近代漫画の祖となったという話。「パンチ」というのは英国の有名な絵入り新聞。
ようするにカリカチュア/諷刺画-コミックの檜舞台としての新聞という伝統が欧米にはある。「ジャパン・パンチ」はその日本版というわけなのだ。その「パンチ」の絵転じて(訛って)、ポンチ絵となったというわけだろう。おそらくは「平凡パンチ」の源流?でもあり、ひょっとして「イカレポンチ」の語源?でもあると思うのだがそれは余談として。
ワーグマンはそもそもアカデミックな教育を受けた画家だったのであり、生活のためにジャーナリズム/諷刺画(コミック)に携わったと見える。そのワーグマンが日本の近代洋画家の育成に貢献したのと同時に、じつに「日本近代漫画」の祖であったとは、、じつに因縁めいた話でもある。
市民革命以降の政治権力の見張り役としての諷刺画。諷刺画の巨匠にしてフランス・リアリズム絵画の立て役者ドーミエが真っ先に想起されるところであるが、ゴヤ-ホガース-ドーミエと繋がる政治世相諷刺の伝統は、つまりコミックのジャーナリズムとしての伝統と繋がる。欧米の歴史文脈において、マンガ家がコミック・アーティストすなわち「芸術家」であること、コミックが娯楽のみならず、れっきとしたアートの一ジャンルとして扱われることには、そのことが深く関係するように思われる。
たとえば、マレーシアのマンガ家で、アジアで一番有名なマンガ家と呼ばれるラット。少し前にNHKの再放送で、アジアの教育を考えるという趣旨の特別番組を見たのだが、そこでパネラーとしてよばれたラット氏がアジアにおける民族対立に触れて「われわれマンガ家を含む芸術家が、メディアを通してその仲介者にならなくてはいけない」という趣旨のことを述べていたのが印象的だった。その発言の内容もさることながら、とりわけて印象的だったことは、ラット氏にとってはマンガ家イコールなんの衒いも疑いもなく芸術家(アーティスト)であることだった。それはラット氏の個人的な業績の自負から来ると言うよりも(もちろんそれもあるだろうけれど)、英語圏(あるいは欧米文化圏)におけるCOMICの歴史的文脈から来るものが大きいと考えられる。つまりマンガ家=COMIC ARTISTというのには、政治世相に対して主体としてもの申す「市民」の来歴が内包されている。
あるいはまたTHE BOOKたる聖書の伝統、中世装飾写本における、テクストを光り輝かせるイルミネーション(装飾)とイラストレーションの関係、そのゴシック彩色画がルネサンス絵画につながってゆくところ、あるいは西欧伝統における建築としての書物というあたり、オランダ富裕市民層においての銅板画(浮世絵に影響を及ぼしている)の異様な発達、等々、欧米コミックの文脈のうちにある含みは、「聖俗」併せ呑んで相当に深そうだ。
近代絵画にせよ、近代漫画にせよ、そのおこりは、西欧における「市民革命」だったのであり、ARTSITの語にはその表現が高度に洗練されているか否かという問題とともに、自律的な主体として「発言/表現」しているか否かという課題(試金石)を含んでいる。欧米の歴史文脈からいけば、好むと好まざるとにかかわらずマンガ家=COMIC ARTISTなのだ。そしてそれはひとつの抑圧装置であり、逆にその機構すなわち近代社会性(あるいはイコンの歴史性)から限りなく自由な日本のマンガの、「無意識」の(への)深みが欧米文化の文脈から行くと、--本人にそのつもりがなければないほど--まさにとんでもない”アヴァンギャルド”として映る。それだから、逆に日本のMANGAはARTの文脈において、”革新者”の地位を得ながらも、日本国内にはその革新の意味を記述するための概念構成(歴史性/社会性)がない。そして、あるいは「なかったのだ」ということに人々が気づきはじめている。
いまどき「市民」と言えば、すかさず「香ばしい」の一語/シニシズムが伴ってくるご時世ではあるが、それゆえ、日本におけるマンガ家/芸術家の関係は、つまり日本社会においての「市民」というものの「考えられなさ加減」において、なんともキレの悪い不明瞭さを伴うと言ってもいいのだろう。
さらに、シニシズム(冷笑主義)と言えば、今日”イズム”としてもっとも猛威をふるっているのはそのシニシズムであるかもしれない。不可避ともいえるあらゆるものごとの相対化にシニシズムが嬉々として(まさに冷ややかな/生暖かい笑いとともに)付き添う。
すくなくともコンテンポラリーアートにおける”過去としてのモダニズム”の諸流儀の扱いには、シニシズムが付き物であるともいえる。つまりきょうび自律的な絵画/彫刻あるいは歴史変革の自己主体としての近代主義的な芸術家/作品表現の概念/イメージは、ある種冗談のようなものとして映るのだが、しかしコンセプチュアリズム/シュミレーショニズム、メディアアート/インスタレーションと、どれだけ表現が”キャンバス””額縁”から逸脱し、あるいは”表現”などという近代芸術の遺物には縁がないと言い張ってみたところで、「表現する主体」という枠から出れるわけではない。脱芸術とは、まさに出ているつもり(シミュレーション)であり、その「つもり」の洗練の度合いが、いわば”CPU/処理速度”において競われるわけだが、私の興味はそこにはほとんどまったく向かわない。そんなに「脱」したきゃ、いっそ芸術の話題が上らないところにいればいいではないか。というか、そもそもマネとモネの区別もつかない現場にまみれてみればいいのだ。私は上野公園の一大ホームレステント場を通るたびに、川俣正の「アートフル/アートレス」の概念(無批判な制度的な「芸術」の横溢(full)に批評としての禁欲(less)が対置される)を思い起こし、「アートフル、、ホームレス」とひとりごちる。芸術の森のホームレス・テントにおいては、「アートフル/アートレス」は実際、そのまんますぎてシャレにならない。(川俣正の活動にシニシズムは希薄だが、またユーモアも希薄だ)
「脱芸術=ゲンダイビジュツ」の祖といえば、なんといってもマルセル・デュシャンであり、コンテンポラリーアートのシニシズムの祖としても考えられるわけだけれど、デュシャンのキャリアが新聞へのマンガの寄稿から始まっていることをご存じだろうか?そういえば、デュシャンの発想というのは、どこかマンガ的なのだ。
だいたい、美術館に”便器”の出品を企てるなんて言うのは、きわめて”ギャグマンガ”的(こういってゆるされるならバカボン的)だといえるのではないか?そして後年、そのレプリカを皆でしかつめらしい顔で拝んでいること自体が。(そこで「用」を足しているバカボンのパパというのが思い浮かんでしまったりして)
*
さて、あるいはまたひきつづきの飛躍を許していただきたいのだけれど、かのミケランジェロのシスティナ礼拝堂の天井画にも諷刺-諧謔の笑いが目立たぬ端々に見受けられもするのだった。それは教皇権力への不服従、笑い飛ばしであるとともに、実に「美とグロテスク」という問題構成をよびさましもするだろう。
システィナ礼拝堂の、天井画というより「ルネッタ」と呼ばれる半円形の壁画部分に「キリストの先祖」と題されたシリーズが展開しているのに、私はつい最近まで着目したことがなかったのだが、その目立たぬ場所におけるミケランジェロの表現は、表舞台のギリシャ・ローマ哲学/キリスト教神学の混淆たる激しく身を捩る崇高性から遠く隔たり、”家庭の悲劇”たるほとんど「ダメおやじ」のような世界が展開されているのに少なからず驚かされる。夫婦(父-母)/子、王/王子、つまりはカップル/親子という人間家族関係の基本が「キリストの先祖」の物語として半円形の左右に対比的に取り扱われているのであるが、そこでの、とくに王/父親/夫の表情の情けなさ、滑稽さといったらない。まさにマンガとしかいいようのないまでに、くだけたミケランジェロがそこにいる。天井(天上?)の理想漲る肉体美/精神美の世界から一転した地上の惑い。その対比は劇的であり、私はそこに絵画のまさに「ベース(base/bass)=基礎/基底音」としてのマンガ(コミック)を見る。とともに、ミケランジェロはイデアリズムの芸術家ではない、と私は見る。いや、イデアリストでありつつ、リアリストというべきなのか、このうえもない健康美に満ちあふれた溌剌堂々たる王道を描き出し(彫りだし)つつ、ミケランジェロは目立たぬ場所でこのうえもなく人間くさい(俗っぽい/泥臭い)愚痴をこぼしつつ、情けなさ極まるくたびれ果てた嘆息をもらす。しかしながら、それこそがユーモア(ヒューモア)であり、ユマニテの実現というものではないだろうか?まあ、愚痴と嘆息に明け暮れていているだけでは、けしてユーモアには至らないということであるのだが、、。
「美」に対比されるグロテスクとしての「笑い」。ゴシック聖堂を飾る奇怪な悪魔怪物群、なにかとシュルレアリスムと関連づけられることの多いボッス、ブリューゲル、アルチンボルド、奇想の画家達を想起してみる。デフォルマシオン、メタモルフォーゼの問題と重なりつつ、ヒューマニズム(人文主義)の精髄としてのユーモアという問題も実にミケランジェロやボッスにおいては濃厚に嗅ぎ取られ(ラファエロには明らかにユーモアが欠けている)、また古典主義的な「美」の底流を流れるものとしての「グロテスク」(その語源はグロッタ=洞窟---子宮/内臓へと連想が働く)というあたり、つまり「美-グロテスク-デフォルメ-笑い」の連関性は、そこへ「装飾-芸術」の対比論も相交えてマンガ-芸術論的にけして見逃せないところである。グロテスクの問題は「オタク」カルチャーに濃密に露出しているところでもある。
それでまた、ギリシャ・ローマを源流となす古典主義美学からは、まとめてグロテスクとして映るアジア極東、日本における「笑い」であるだろう。しかし、そのグロテスクは、ミケランジェロの彫刻の細部に、壁画の目立たぬ場所に、随所に見受けられ、まさに噛み殺された笑いとして、ときに底暗い「黒い笑い」として西欧近代芸術の底でふつふつとたえず沸き立ってきたのだった。
*
「笑い」とはまさに運動。それはまさに「性」に似て、本能的なカタルシスの運動であるとともに知性の運動でもある。自分にとって、非常に「無意識的」なものであったマンガ/赤塚不二夫に、今回突っ込んでみて得られたのは、その笑い/マンガにおける本質として「運動性」の視点(蕩尽伝説/蕩尽亭さん による)と、そこにおける両義性(身体生理と知性との)、そして多次元性についてだった。
19世紀末から20世紀の初頭に起こった芸術運動/パラダイムシフトの意味、つまり印象派-セザンヌ-ピカソ(キュビスム)/マティス(フォーヴ)の流れのなかで行われたのは、つきつめるならばイリュージョニズム(伝統の慣性)の切断による、リアリティ生成における、そして「モダン」という事態においての「多次元性」の開示であったともいえる。
西欧絵画の”終わり”において20世紀の新芸術たる写真/映画/マンガ/アニメは始動しているのであり、逆向きに言えば、19世紀末から20世紀初頭に投げかけられ、抽象表現主義に引き継がれていく絵画のイリュージョニズム(錯視効果)への根底的な疑いの問題、それは、つまり絵画/彫刻から追い出された「イリュージョン」の転居先たる「写真/映画/マンガ/アニメ」においては極めて素朴に信じられてきたのであり、ちょうど19世紀末から20世紀初頭に絵画において起こったような革新が21世紀初頭のいま、「写真/映画/マンガ/アニメ」に起こりつつある(起こらざるを得ない)のではないか?つまり多次元性の無意識(自明性)における意識化の問題として。
そのことはだから、ポップミュージックを含むサブカルチャーの無意識における、意識化の問題、「父との再会」の問題---逆向きにはハイカルチャーの側のポップへの接近融合(母子との再会)---として私には感じられるのだけれど、それが19世紀的な意味での「父の復権」を意味するのではないことは、たしかであり、アメリカ/ブッシュの原理主義体制はその文字どおりの笑えない戯画になってしまっている。「イリュージョン」を「悪」として徹底的に排除しようとした抽象表現主義-ミニマリズムのいわば「クリーン作戦」の「白(イリュージョンの零度)」の発見の由来と意義というのは厳密に問われなければならない。その「白」の否定も、その「白」への盲目的信奉と同様、また愚かなことなのだ。
あるいは「19世紀=父(一なるもの・始祖/創始)」「20世紀=母(二なるもの・反映/反発/多産とそこにおける零度の発見)」「21世紀=子(三なるもの・自立/創造)」の、いわばトリニティ(三位一体)の弁証法的問題として感じられもするのだが、それはあくまでも試論のなかの試論として。
赤塚不二夫論のつもりが、ずいぶんと飛躍してしまった。
ところで、うかつにもある時点で私は赤塚マンガの本質を「反知性主義」と結論づけてしまっていたのだが、「赤塚不二夫120%」という回顧録は、ほとんど自分が与えた影響に対する悔恨ともとれなくもないような、晦渋を伴う仕方で「笑い」にいかに知性が必要か、いかに自分が真面目に理性的に「笑い」を探究してきたかという話で満ちていた。
その発刊当時(99年)のあたりの、「明石屋さんま」に代表される、客を笑わせる前に自分がゲラゲラ笑ってしまう安易な芸の横溢に苦言が呈されるのだった。談志との対談において、ギャグのパイオニアのほとんど「ぼやき」ともとられかねない、当時昨今の「さんま/吉本」の無知性な笑い(スタッフ笑い)の横溢にたいする嫌悪に対し、「高度な笑いを求めるなんていうのはしょせんエゴかも知れない、ほっとけばみんなあっち(さんま)の笑いに行ってしまう、まあでもそれが自然ってもんかもしれないよ」という風に諭す談志にしても、でも俺は高度な笑いを目指し続けるけどな、ということであって、そこに妥協はない。あたかも現代美術論を読むような赤塚不二夫/立川談志のかけ合いなのだった。
赤塚マンガは、20世紀前衛芸術のハイブリッドであるとともに、言ってみればそれは諧謔とユーモアの交差点であるように思える。60年代の革命とギャグの炸裂は、まさに同期しており、そこは洒落/粋/諧謔とユマニテが融合する地点でもあった。そしてその後の「近代/市民」への絶望と、シニシズムと楽屋落ちの笑い(両者は異質を結ぶ共感ではなく内輪に向けた集団的な「分離の笑い」という点で共通する)の蔓延という今日的な事態に際して、混じり合いの地点を見つめ直してみることはけして無益なことではないと思える。
今日のシニシズムの切断と分離は、やみくもに起こってきているわけではない。
いまどき諧謔とユマニテの伝統保存会をやってみてもラチはあきはしない。そして、「反伝統」していても、もっとラチはあかない。
分かれつつ、繋がる。繋がりつつも分かれている。創造はそこに生じるのだろう。「父」か「母」か、どちらかにくっついていけば安心と言うものではないだろう。
第一、分かれてないもの、独り立っていないものは、交わりえない。結びつきえない。
(了)
]]>赤塚不二夫ふたたび(5) http://livinity.jugem.jp/?eid=98 2005-02-20T23:45:01+09:00 2006-02-12T17:01:03Z 2005-02-20T14:45:01Z
*
前回の「現代マンガにおけるマシニック」の話題に繋がるところでもあるが、赤塚マンガの伝説において、その優秀なアシスタント/ブレーンの存在はつとに有名であるだろう。すなわち長谷邦夫、古谷三敏。私もそのあたりマニアックに通暁しているわけではなく、古谷三... d 考え
*
前回の「現代マンガにおけるマシニック」の話題に繋がるところでもあるが、赤塚マンガの伝説において、その優秀なアシスタント/ブレーンの存在はつとに有名であるだろう。すなわち長谷邦夫、古谷三敏。私もそのあたりマニアックに通暁しているわけではなく、古谷三敏といえば「ダメおやじ」の大ヒットというわけで、子供の頃、ほとんどトラウマとして作用するほどのその家庭内陰惨劇---「バカボン」とは一見してまるきり対照的な「オニババ=母」の支配する家庭においての、このうえもなく卑屈なオヤジ=父の駄目ぶりの物語---にハマったというくらいなのだが(精神分析的に言うなら「バカボン」は「ダメおやじ」とセットで語られるべきなのかとも、ふと思ったりもする)、さておき、ことに優秀なアシスタント/ブレーンの存在ぬきに赤塚マンガは考えられないという側面はたしかに存在する。回顧録「120%」に、そのアシスタント/ブレーンにまつわる逸話もいろいろあって興味深い。なんといっても、実作業はあらかた弟子に任せ、赤塚本人はギャグのネタを仕入れに夜な夜な飲みに行くというところ、アルコール依存のエクスキューズかとも思われる微妙なところでもあるのだが、ただマシニックな回転に飲まれていても創造は能わないのであり、いかに遊ぶか、遊べるか、というのが、”クリエイター”の命運を左右しているというのはたしかだろう。しかしながら、ギャグの天才は重度のアルコール依存に溺れていくのであるが、、。
*
反面、社会的/歴史的な次元の問題として考察するに、近代化(合理化)に要請されつつも、伝統的な工房徒弟制度、分業ノウハウの洗練におけるその長い職人芸能世界の伝統の蓄積と、西欧歴史文脈における近代芸術の個人/主体表現の概念の接続にあたっての概念構築整理が、そこで行われなかったが故に「芸術」はマンガを、近年欧米での評価が定まるまで、つまはじきにしたままだったのだと言えなくない。長い時間をかけて醸成されたアジア的伝統(大和的伝統)と、明治以来/戦後におけるその何十倍速ともいえる急激な欧化にさいして、すっとばされてきた(いる)物事という問題。
それゆえ、欧米モダニズムの「行き詰まり/行き止まり」が囁かれ、やがて声高に叫ばれる中で、ポストモダニズムの要諦たる非-個人/脱主体的表現がもてはやされるにつれ、ようするにジャパン、クール、MANGAスーパークール!、キティちゃんてば超最高!!てなことになってきたとき、にもかかわらず、グローバルな持ち上げられ方に反して、ローカルにはマンガは「芸術」の語にひどく収まりが悪い。美術館でマンガを展示すればいいという問題でもなさそうなのだ。
*
”ART”と”芸術”と”アート”を巡っての異様にしちめんどくさい齟齬と捻れという話でもあるが、だいたいにおいて国内的に言うなら、要は「サブカル」というのは「オタク」にとってのハイカルチャー(上位文化)であり、いわんや「芸術」をや(ゲイジュツ?なにそれ?)、というわけで、ART/アートの文脈でヴェネチア・ビエンナーレにおいてまで華々しく取りあげられ評価されているMANGA/OTAKUの内輪(ローカル)での評価は実に「キモヲタ」であるという途方もないギャップがある。この評価における外(グローバル)と内輪(ローカル)の甚だしい落差の問題、じつにサブカルチャーですらないマンガ。
この事態はおよそ150年前、浮世絵が瀬戸物の包装紙として(つまりどーでもいいものとして)海を渡り、やがて好事家の目に留まって美術品として扱われるも、それがマネを筆頭とする印象派の画家達(厳密に言うとマネは印象派の画家ではないが)の強力なインスピレーション源となり、絵画の革命(ひいてはモダニズム)の起爆剤となった経緯と瓜二つだ。あまりにもそっくりなので不安になるほどに。
だいたいにおいて、欧米文化圏においては、日本の高尚知識人が、自国の欧化の達成として感心して欲しいところに限ってミゴトに素通りされ、一番感心してほしくないところに限って、大々的に持ち上げられるという傾向がある。
浮世絵とはまさに当時のマンガである。春画との絡みもあり、近代国家の体制側としては、そんなものはできれば抹殺したい「恥」の部分であった。それが印象派/後期印象派にとって、脱神話的な主題構成において、構図/色面構成の自在さにおいて、絵画の平面性の自覚の促しにおいて、とんでもなく斬新な絵画作法として熱狂的な支持を得る。ムッシュー・モネやムッシュー・ゴッホが、歌麿や国芳描く”キャラクター”に「萌え」たかどうかはわからないが、パリの浮世絵熱(ジャポネズリー)が凄まじいものであったことは周知の事実である。
一方、明治日本の洋画家たちは、まさに印象派が否定したサロン・アカデミー系の画家たちに学んで行く。つまりそのことは異文化の出会いにおいて、相互に学ぶべき課題が反転していたということなのか、それとも日本の側は、文化的な意義においては、そのカードゲームにおいて役にも立たない「ババ」をひいたにすぎないということなのか、見解が分かれるところだろう。
異文化の出会い、そのカルチャーショックにおいては、エキゾティズム、オリエンタリズムの問題がつねに絡んでくる。ローカルな観点から見れば、当たり前すぎて、そんなもののどこが面白いのか?というようなものが、異文化の眼をもってすると、とてつもないアヴァンギャルドな表現に映る(つまり異化作用によって)。
エキゾティズム/オリエンタリズムには、ロマン主義、さらにいえば「性」が透けているとも言える。つまり自国文化の煮詰まり/欲求不満に対し、その一切を解消してくれる、文明に冒されていない野性においての、魔法のようなテクニックを期待するという。すくなくともフランスの側から行くと、浮世絵とはそういうものであった可能性もある。一方日本の側も「西洋」の圧倒的な実在感を誇る量感、肉感に度肝をぬかれ、とてつもない欲望を感じ、ひたすらに追い求めていったとも言える。
「美術」の名において、明治の性急な欧化(つまり西洋画へのひれ伏し)に危機感を感じた岡倉天心/フェノロサによって、「日本画」なるものが生まれるのだが(浮世絵は当初そこではまったく考慮に入れられていなかった)、「洋画/日本画」、新しい造語としての「芸術/美術」、そこにおける「絵画/彫刻/建築/工芸」のヒエラルキーの問題と、今日「芸術/ART」に跨る「工芸/芸能」を交えた「マンガ/MANGA」の位置づけの問題というのは、実際、「判断停止」しないかぎりは、あっさりと片づくわけもない、非常にこみ入った問題群を形成している。いわば日本熱をひとつのファクターとして20世紀を席巻した欧米モダニズムの行方と、日本におけるそのモダニズムの影響とその後という問題、それを解くには実際、深く、多角的な視点が必要なのだ。あるいは、言語の定義をぎりぎりまで問い詰めつつ、全ての分別を反古にして行くような両義性が。(片方だけでは駄目なのだ)
*
「サブカル」と「オタク」の第三者的には奇妙にして当事者同士においては厳格厳密極まりない分別はおくとしても--日本の「サブカルチャー(サブカル+オタク)」は、内実的に、経済効果的に「ゲージツ」を凌駕しつつも、自らを画定できずにきた。
その要因として、20世紀の前衛芸術の意義と理路、あるいは19世紀末ヨーロッパにおける新古典主義の敗退とパラダイムの転換の意味への理解が日本社会のコンセンサスとして全くと言っていいほどに成立していないこと(学校教育現場に顕著である)、またあるいは敗退ゆえ底流として滔々と流れるベーシックとしての古典主義/キリスト教の伝統、ヨーロッパにおける職人伝統の途方もない厚み(と日本職人伝統との親和)という諸事/西欧芸術のスピリチュアリティ、土台に対して、アレルギー的に「反知/アンチ/カマトト」してきたがために。あるいは「サブカル」と「オタク」に分離してしまっているがゆえに。
もちろん”ゲージツ”の側の途轍もない鈍感ぶりという要因もあるにせよ、権威を小馬鹿にしつつ依存的(すねかじり)である---サブカルチャーには本来的にそういう面がある---日本におけるサブカル流儀の「芸術」との距離を見失いつづけてきた「内向性」という問題は冷静に見据えなくてはならないし(これも自分に対しての言葉なのだが)、それだから宮崎駿(個人的な趣味としては苦手なのだが/絵が趣味でない)のような冷徹なディレクター/アーティスト、そのブレーン/チームの功績は計り知れないと言うことになるのだろう。
往年の赤塚マンガと、現在のコミック/アニメ/フィギュアすなわち「オタク文化」とのつながりというのは、よくわからないところがある。私のようないちおう非オタク(ニュートラルな意味で)から見て、「芸術」の観点からいけば、赤塚マンガはわかりやすいのだが、逆に当の「オタク」における、頼むからコミック/アニメ/フィギュア/ゲームを芸術/アートのコンテクストと絡めないでくれ、という悲痛な叫びがあるだろう。「内向き」だからこその「オタク」である、と。「真正オタクvs村上隆」的とでもいえそうな問題。
やはりそのあたりのことは精神分析的な問題として見えて来るところなのだった。父の不在(母子癒着)の桃源郷へのふいの父の帰還、父と母子との再会、、それこそが21世紀初頭における切実な精神分析的-フロイト的問題であるとも言えそうな気がする。
と同時に、いわゆるひとつの「アキバ系」というか、コミック/アニメ/フィギュア/ゲームの文化圏においては、「古層」への再帰、あるいは「古層」の保守ということが絡んでくると思う。昨年、興福寺国宝展に行き、痛切に感じたのだが、そこに展示されていた高さ40センチにも満たない「四天王」の彫像には少なからず、ぎょっとした。その13世紀中世鎌倉期に造られた木造彩色の精緻極まりない鎧/装身具を纏った彫像ときたら、まるきり「フィギュア」そのものだった。つまり四天王=”機動戦士”として。
つづく(次回完結予定)
]]>赤塚不二夫ふたたび(4) http://livinity.jugem.jp/?eid=97 2005-02-17T18:55:35+09:00 2006-02-12T17:01:07Z 2005-02-17T09:55:35Z
現代マンガというのは、---赤塚マンガに限らず---、ヒューマニスティックであると同時にマシニックなものだ。赤塚マンガに限らずというより手塚マンガに端を発し、赤塚/藤子/石の森によって画定した現代マンガの基準線において、描画の徹底的な合理化、管理化が行われ... d 考え
現代マンガというのは、---赤塚マンガに限らず---、ヒューマニスティックであると同時にマシニックなものだ。赤塚マンガに限らずというより手塚マンガに端を発し、赤塚/藤子/石の森によって画定した現代マンガの基準線において、描画の徹底的な合理化、管理化が行われる。極端な場合、月に10本ちかくも連載を抱えるマンガ家において、プロダクション化は必至の事態であり、アシスタントによる流れ作業が常態となる。キャラクターの顔、コスチューム、手足の表情はパーツ化され類型としてストックされる。たとえば顔の輪郭のどこからどこまでが一本の線で描かれるべきか、そこまでが管理化されているといってもいい。それだからマンガにおけるデフォルメには製品として一定の品質を保つためのマニュアル定型づくりという側面があったはずだ。
逆にいえば「オタク」的興味とは、一定/ニュートラルであるはずの品質管理における微妙な差異/ゆらぎを見逃さないことによって、生じてくると言う気がする。
たとえば、経験的に言うと、子供の頃夢中になった「巨人の星」のアニメ版において、プロダクション体制のなんらかの事情によって、回毎に描画のテイストが別物になるということがあった。好みのテイストの回と好みでないテイストの回とでは、まったく観る気分が異なってくる。そうでなくとも球場の観客の描写のされかたとか、球を投げてからバッターボックスに届くまでの時間がなんでこんなに長いんだとか(笑)、あらゆる細部、枝葉末節が気になりだして、とまらなくなる。そうして気がつくとヒトは「オタク」と呼ばれるに至るのだろう。私はその道を選ばなかったけれど(と自分では思っているのだが、、、)。おそらく「オタク」というのは日本の「近代化」というOSにバンドルされていたのだという気すらがする。「近代化-モダニゼーション」という事態自体が「オタク」を製造せずにはおかないのだ(それを支えるためにも)。その「産業化-情報化」という事態における合理化、専門特化の問題と共に、ヒトはそこにおいて動くもの、”ゆらぎ”微細な”差異”にこそ反応するのだから。
またマシニック(機械的)の意味には、手塚-石森章太郎/松本零士のラインによる延々と続いてきた未来的メカトロニクス-サイボーグの主題構成が内包されるわけだが、それについては私はあまり語るべき言葉を持たない(「サイボーグ009」やタツノコプロの「ガッチャマン」は大好きだったけれど)。むしろ関連して、モダニズムという事態において、日本には「モダン」の巨匠が存在しなかったという説に対して、手塚治虫、トキワ荘出身の巨匠たちの名を挙げると共に、「日本のモダンマスターズの固有名としての”ソニー・カワサキ・ホンダ”」という仮説というか仮題を提出してみたい。
いや、たとえばソニーのウォークマンなしにiPodがありえるかという類のことがあるにせよ、ここでことさら「ソニー・カワサキ・ホンダ」に拘りたいわけではないのだが、クルマや電化製品のモデルチェンジ、それは言ってみればデフォルメ、メタモルフォーゼであり、現在それをもっとも強く感じさせるのは(というか一番分かり易い例として挙げるなら)、マッキントッシュのコンピュータにおける、「意外性」にみちた劇的なモデルチェンジ(新作発表)であるかもしれない。
あるいはまた飛躍して言えば、たとえば非常に今日的な問題である”美容整形”というのは、それこそマンガ論的観点からいけば、つまりは”逆デフォルメ”であると言えなくもない。デフォルメというのはフォルムのデザイン、リデザイン(デザインし直し)という、要は「アート」というより「デザイン(/ファッション)」の領域での、モードチェンジの支柱となってきたのだ。
ここで、アートにとりデザインとはなにかという問いが生じる。絵画と彫刻を切り捨てたアートはフォルム(すくなくとも有機的フォルム)への関心を失わざるを得なかった。フォーマリズム(フォルマリスム)とは、絵画/彫刻の自律性における形式(フォーム)の概念デザインであったわけだが、そこから「イメージ」が不純なものとして追い出されるにいたって、フォルムの問題は支持体(キャンバス)の矩形、その分割の問題になってしまう。描かれるべき対象というものがなくなるのだから。そうしてイメージにおけるフォルム/デフォルメの問題というのは無意味化され(つまり遠近法の錯視空間のグリッドにおけるモデリング/オブジェクトマッピングの問題が無意味になる)、絵画は茫漠としたカラーフィールドにおける体験の質の喚起性の問題というところまで行き着く。しかしそこから追い出された「不純なるイメージ」/フォルムの問題は同時に、デザイン/サブカルチャーにおける第一義の課題として、ハイテクノロジーに裏付けられ、フォルムの合理性とともに多様性、その変幻性、機能的進化が突き詰められて行く。
現代マンガ(コミック)/アニメはだから、ある種の工業としての性格を分有しつつ、「ファインアート」にたいして「イメージ/イマージュ」そして失われたストーリーを投げ返すことになる。
アートにとりデザインとはなにか?つまりそれは並置するジャンルの問題ではないのであり、非商業主義(アート)vs商業主義(デザイン)というのはじつは偽の対立でしかないとはいえないだろうか。アートにとりじっさいにものと触れあう”デザインdesign”(=語源的にデッサンdessinと同義)は根本的な柱であって、それを失ったアートは倒れるほかない。フォルムの脈動を失うからである、と。
*
また一方で、赤塚不二夫以降の日本現代マンガは「色彩」の感覚を育ててこなかったという問題があると思う。 日本の現代マンガは色彩を犠牲にして成り立ってきた、と。 そのことはリテラルに言えば現代マンガの主要媒体たる分厚い少年雑誌においては、巻頭グラビアページの数ページを除き、モノクロ印刷(ないしは2色印刷)が完全に主体であったことに起因する。
その色彩を切り捨てた条件において、コマ割りの展開そして描線の極めて高度な洗練が、あるいはスクリーントーンの高度な技術が発達したともいえる。それは日本現代の工業化社会における、非常に過酷な条件下でのある種のノウハウの異様な発達というのとシンクロすると言っていいと思う。逆向きに言えば、たとえばフレンチ・コミックのような高度な色彩の芸術的洗練を為し得る社会の余裕があったなら、日本現代マンガはそれほどの爆発力を持つには至らなかったのではないかという見方もできるだろう。
それにしても日本現代マンガの”色”に対する無神経さについては、西欧絵画を通過したオーソドックスな絵画観から行くと、ある種耐え難いものがある。しかしながら、そのへんの「分岐」がまた”問題”になってしまうというのもあるのだが、、。
ともあれ、概観的に言って実際戦後日本のプロダクツにおける「色彩」への無意識ぶりというのは、非常に深刻な社会的影響を引き起こしてきたと思える。社会生活における色彩(現代的な色彩計画)の重要性が一般的な次元で認識されだしたのは、この10年あまり、印象的に言えば、昨日今日のことに過ぎないのではないか。
マンガが色に目覚めたとき、それはコミックと呼ばれる、という言い方もできなくはない。絵画論的にいえば、途方もなく洗練された自国の色彩伝統を持ちながら、西洋絵画技法における、対象のボリューム(量感)をマッス(塊)として捉え、線ではなく「面」によって把握し、色彩によってデッサンするというヴェネチア派-印象派的な方法論への理解が決定的に日本の戦後の美術状況に欠けているために、というか効率的な意味において「型-フォーム」だけが、異常な論理的発達を遂げたが故に、色がフォルムとは無関係な一番最後の「塗り絵」の問題になってしまうという独自の弱点があり、それがマンガに限らず、プロダクツの様々な場面で悪影響(というかそれを悪影響とも感じられないような徹底的な感覚麻痺)を及ぼしてきた。逆に欧米的な色彩作法からいけばけしてありえない日本現代のプロダクツに氾濫する極めて「生(なま)=無秩序」な色彩の感覚が、欧米人には恐ろしくぶっ飛んだアヴァンギャルドとして映るということもあるだろう。
マンガからコミックへ、というのはまたオタク論的な射程を孕むのだろうけれど、当然アニメのことも含み、マンガと色彩というのは、”赤塚不二夫以降”において、放置された問題でもあり、今後、非常に可能性を孕んだことがらであると思われる。
(つづく)
]]>赤塚不二夫ふたたび(3) http://livinity.jugem.jp/?eid=96 2005-02-15T01:37:13+09:00 2006-02-12T17:01:12Z 2005-02-14T16:37:13Z
ふたたび。
”蕩尽伝説”に5回にわけてアップされたマンガ論の充実にインスパイアされ、私なりに赤塚不二夫論のまとめというかたちで、このブログで年頭からだらだらと続けてきたマンガ論のひと区切りとしたい。
さて、たしかに手塚治虫という、天才を通りこして... d 考え
ふたたび。
”蕩尽伝説” に5回にわけてアップされたマンガ論の充実にインスパイアされ、私なりに赤塚不二夫論のまとめというかたちで、このブログで年頭からだらだらと続けてきたマンガ論のひと区切りとしたい。
さて、たしかに手塚治虫という、天才を通りこして「神様」がいなければ、赤塚不二夫はありえなかった。のみならず、トキワ荘の巨匠達、藤子不二雄、石森(石ノ森)章太郎、松本零士、、治虫’s チルドレンが切り開いた現代マンガの可能性のそもそもがありえなかったということになるだろう。手塚治虫なしには「ドラえもん」も「宇宙戦艦ヤマト」もありえない。それは”父”セザンヌなしにマティスもピカソもモンドリアンもありえないのとちょうど一緒だと思う。
「赤塚不二夫120%」で、「トキワ荘」時代にたびたびそこを訪れてくれたという「神様」のことが回想されている。手塚治虫は海のものとも山のものともつかないトキワ荘のマンガ家の卵たちを「氏」づけで呼んでくれたというのだ。敬意を込めて「赤塚氏」と。これは”父”の証として実際凄い話ではないだろうか?
「君たちマンガ家になりたいの?」
と神様が聞く。
「ハイ、なりたいです」
神様曰く
「それなら一流の音楽を聴きなさい。一流の映画を観なさい。一流の芝居を観なさい。一流の本を読みなさい。」
最初はよく意味が解らなかったが、神様の言うことだから、皆その言葉を金科玉条として実行したのだという。
「音楽/映画/芝居/本」ほとんどその言葉に「マンガ」の本質が集約されているともいえてしまう。つまりまさに時間芸術の極意を掴めということであり、ストーリー展開の起伏、リズム(間)のとりかた、台詞回しの極意、そしてひいては人間性を学び、教養を積みなさい、と。後になってから、その意味がわかってきた、と赤塚不二夫は言う。
たとえば「レレレのおじさん」がそうだというのだ。引用してみよう。
「バカボンのパパが「行って来るのだ」って出かけると、レレレのおじさんが「おでかけですか?」って。これが間なんですね。すぐ隣りに行っちゃったら、つまんない。そういう間をとること、リズムを作ることも、手塚先生が「いい音楽聴けよ」とおっしゃってくださったおかげでわかるようになった。
これは単純な事を言っているようで、じつに深いものがあるとおもう。
続けて曰く、、
そういえば「ジャングル大帝」の冒頭のシーンって本当に音が聴こえてきたもの。ドンダダ、ドンダダって。あれ、すごかったなぁ。アフリカってどんなとこだかしらないんだよ。でも確かに音楽が聴こえてきた。あれをはじめて読んだときの感動は忘れられない。
実際本の中で、ギャグマンガの巨匠の、16歳でジョン・フォードの「駅馬車」を観て以来の映画マニアぶりが語られてもいる。ことにハリウッドのコメディ映画。そのテンポを日本の”ぬるい”マンガに導入することを考えついたのだという。
そして、ジャズ。貧しいなか食費を切りつめてコルトレーン、アート・ブレーキー、来日しだしたジャズの超大物のコンサートへ。そしてまた映画館へ。食器もろくに揃わないような貧困のなかで映画と音楽からいかにマンガの栄養を摂取したか、が、またあるいはチビ太やデカパンやダヨーンのおじさんといったキャラクターにいかにアメリカやイタリアの小説/文学の影響が反映しているかが語られてもいるのだった。その後のアドリブに満ちたギャグの炸裂というのには、そのままジャズのアドリブ演奏ということを重ねて想起せざるを得ない。
現代マンガの確立者、その”現代-モダン”の所以である。つまり20世紀前半の前衛芸術の革新の精髄を赤塚不二夫はハリウッド映画やモダンジャズや小説から摂取し、それを抽出した、と。それはもうまぎれもない事実なのだった。そこにだから20世紀前衛芸術の流れ、その特質のまごうことなき継承があることは明白なのだと言える。(実際、”ハタ坊走り”の参照元がジャコモ・バッラの絵そのものかどうかというのは、わからないにしても)
前世紀初頭ヨーロッパにおける、キュビズム、フォーヴィズムの先鞭以来の未来派、ロシアアヴァンギャルド、ダダ、シュルレアリスム、純粋抽象という、工業と複製技術の回転/プレスの轟音に裏付けられ支えられ、あるいはそれに抗す、映画、舞踏、詩(書物)、音楽、絵画、彫刻、オブジェ、絡まり合う怒濤の革新運動、「デザイン/編集」としての抽出運動、まさにその運動性においての、「スピードとダイナミズム」(未来派)そしてその運動の記述と切断、再統合つまり編集技法そして詩学としての「メタモルフォシス/ディペイズマン(コラージュ/モンタージュ)/オートマティスム」(ダダ・シュルレアリスム)。その大規模な頒布としてのハリウッド映画、ジャズ。そこに学んだ日本現代マンガの黎明。ジャパニーズ・モダン・アートという言葉をたてたときそのひとつのおおいなる側面である事はまちがいない。
いうなれば、たとえば未来派の美学やダダ・シュルレアリスムの詩学というのは、「複製技術時代」における「あたりまえ」の域をとっくの昔に通り越して、「高度情報化社会」においては煮詰まりすぎたスープのなかのまったく原型をとどめていない玉葱のようなもので、このへんで、たしかに「玉葱」に、その”高度情報化ゆえの不可視”に思い至ることは必要であり、意義深いことであると思われるのだった。
*
さて、赤塚マンガの特質として大胆極まりないデフォルメがある。デフォルメというのは無論西洋美術の概念であり、つまりはデッサンにおける対象の意図的な変形ということだが、そこに単純化、記号化(抽象化)という方向を孕みつつ20世紀絵画において非常に重要な概念となるも、マンガにおいてもひとつの、ことにキャラクター表現において要ともなるべきものだ。
デフォルメ自体はミケランジェロ-マニエリスムの昔から、あるいはマンテーニャの時代から、人体描写における動勢/捻れの強調、引き延ばしや逆に短縮として、遠近法においてのモデリングをめぐる重要問題としてあったわけだが、後期印象派、ゴッホ、セザンヌを経て、ピカソのアフリカ/イベリア彫刻からのインスピレーションによって描かれた「アヴィニヨンの娘たち」によって、(あるいはフォーヴの絵画の形態の単純化によって)、”デフォルメ”は決定的に現代的に重要な造形言語になる。
ようするにニャロメやベシ、その殆ど「ネコ」や「カエル」としての原型をとどめていないにも関わらず、ネコやカエルとして在る、そのデフォルメの凄まじさには当然、ミッキーマウス(ときどきそれが巨大鼠であることに思い至って、ぎょっとするのだ)やバックスバニー(巨大兎)のアメリカン・カートゥーンの影響が濃いと思われるのだが、それにしても赤塚マンガにおけるそのデフォルメの激しさはまさに「過激」であり、その形態的な還元性、つまり「円、三角、八の字型」といった平面的にあからさまな図形性、記号性ゆえ、その「トビかた」はディズニーキャラクター以上の域に達しているように思える。
日本現代にそこまでデフォルメを徹底的に追求した絵描きはそうそういるものではない。(実際、気の遠くなるような数の線を引かなければ、とてつもないデッサン力がなければ、あのような単純化には至れないのは絵描きの目(手)から見て明白である)
日本現代マンガ/赤塚マンガにおけるデフォルメ、一方でそこに北斎漫画や国芳戯画の系譜をみることもまた容易なことである。動物の擬人化ということでいえばそれこそ「鳥獣戯画」の昔からと言わねばならず、さしてそれはとくに日本の専売特許でもなんでもなく人類史的に普遍的に見られることであるのだからおくとして、今度は逆向きにデフォルメという「概念」なしにデフォルメを為してきた「非西欧美術」の西欧近代芸術にあたえた「無意識のアヴァンギャルド」という問題系をやはりどうしてもたてなければならないだろう。
またしかしながら、日本現代マンガの創成において「時間分割-コマ割りにおける映画/音楽の手法的な導入」とともに「デフォルメ」というのは決定的に切実な意識的課題だったのである。翻って19世紀-20世紀初頭にかけてのその西欧美術の「デフォルメ」の概念のその革新的なまさにデフォルメにおいて、じつは浮世絵/アフリカ彫刻が決定的な役割を果たしたこと、その交通/運動についても熟慮する必要があるだろう。
抽象表現主義-ミニマリズム以降、「デフォルメ」というのは一見してコンテンポラリーアートの文脈で、「絵画の終焉」ともに無意味化されるわけだが、---「デフォルメ」なんてもう意味ないですよ、ピカソの時代や日曜画家じゃ在るまいし、と来るなら---それは違うのではないかと。デフォルメ-メタモルフォーゼ-トランスフォメーションという一連の変容に関する語彙のその内実をいまこそ鋭く問うべきだと思う。
(つづく)
]]>分裂と統合 http://livinity.jugem.jp/?eid=94 2005-02-12T01:44:18+09:00 2005-02-11T18:32:14Z 2005-02-11T16:44:18Z
赤塚不二夫論を完結させる前にやっといたほうがいいだろうと、半日かけて書きつらねたジャポニズムに関する論考が、いいとこまで来たな、もう一歩だなというとき、ひさびさに見る爆弾マークとともに費え去った。
まったく、やあ、ひさしぶりてなもんで、笑うしかな... d 日記
赤塚不二夫論を完結させる前にやっといたほうがいいだろうと、半日かけて書きつらねたジャポニズムに関する論考が、いいとこまで来たな、もう一歩だなというとき、ひさびさに見る爆弾マークとともに費え去った。
まったく、やあ、ひさしぶりてなもんで、笑うしかない。というか、こういうときはやはりなにかの思し召しと思うようにしている。
実際いま、論考ばかり書いている場合でもなく、とあるプロジェクトからの依頼で、マンガそのものを頼まれているのだった。原作者がいて、私は絵担当だから、「サルまん」コンビでいうと私は相原コージなのだ、竹熊先生ではなく。じっさいに絵を描け、絵を、ということだ。
というわけで、最近デザイン仕事でちょっとデジタルワークに傾きすぎていたということもあって、そのリハビリということもあり(ホントはそういうこと言っちゃいけないと思うんだが)、半日、スケッチブック上で延々、ペンを走らせる。あれです、ダッシュの繰り返し。
で、画像は、去年ある音楽CDのために描いたコミックタッチの絵(CG)の使わなかった分を組み合わせた(さっと料理した)もの。これの本作は急遽なかんじでプロモーションビデオにも実写のアクセントとして使われて、しばらくMTVで流れていたのだが、どうせだったら最初からアニメ化の計画で行って欲しかったというのがある。というか、このところの数々の対話を経て、アニメへの自分なりの興味が湧いてきているということなのだけれど。
そして小さい方↓は、そんなわけで今描いてるやつ(キャラクター・アイデアスケッチ)をデジタル処理したもの。まだ練りが足りない。
しかし(とまた考えてしまうのだが)、こうしたものと、学究的興味、そして長年イラストレーターの表看板としてやってきたヨーロッパ的にオーソドックスな写実表現と、やはり20代から続けている気の長い探究としての抽象表現への取り組み(そのふたつはここではまだ出す気になれないけど)と、それから今は休止中のドラマーとしての自分、膨大に貯まったDTMトラック(ダブファンク)、写真、よくもまあ、これだけ自己分裂したものだなあと他人事のように思う。同じ人間がどれほど多次元的にメタモルフォーズできるか、実験の場と化してるような人生だ。不用意に全部同一平面に並べたら、たぶんキチガイだと思われるだろう。
といって、なにも私は美術/表現の百貨店、なんでも屋/便利屋を目指しているわけでもなんでもなく、興味の赴くままと、依頼されるままにチャレンジを繰り返していたら、途方もない対極/多次元を抱えることになってしまったということで、ここで「自伝」をやる気はないんだけど、2000年代に入ってからの興味は「多次元統合」の原理を探るということに尽きる、ということに大きな意味ではやはりなるのだ。
蕩尽亭さんとマンガ/アニメをキーにして芸術をめぐる対話を繰り返しつつ、非常に大きな示唆を受けつつ、しかし、実際、手塚/赤塚/マンガ/アニメの「近・現代(20世紀)」の遺産がどう芸術の枠組みに作用し、あらたな表現、新たな芸術の概念の創成に繋がるかというところは、ほんとうにやってみなくてはわからないところで、あらかじめの答えなどない。
ともかくも、わけへだてられてお互いを知ることがなかった「自己たち」がいま急速に互いを知ろうとしている。ってそう書いている私とはだれなのだ?という話でもあるが、そのためのこのせっかくlivinity(live unity)と題したブログでもある。
このへんでちょっとそういうことを書いておきたくなった。
]]>hans arp/矢代幸雄 http://livinity.jugem.jp/?eid=93 2005-02-10T21:26:16+09:00 2005-02-10T12:40:29Z 2005-02-10T12:26:16Z
*マンガ論はちょっとお休み
すぐ行くのがもったいなくて、しばらくとって置いたのだけど、仕事が一段落したこともあり、本日休業ということで「ハンス・アルプ展-20世紀彫刻の開拓者」を観てきた。
もうアーティストの鑑と呼ぶべき存在。掛け値なしに素晴らしい... d 展覧会
*マンガ論はちょっとお休み
すぐ行くのがもったいなくて、しばらくとって置いたのだけど、仕事が一段落したこともあり、本日休業ということで「ハンス・アルプ展-20世紀彫刻の開拓者」 を観てきた。
もうアーティストの鑑と呼ぶべき存在。掛け値なしに素晴らしいと思った。
以下ざっとの印象論を。
アルプという作家はマティスやピカソやミロの陰、あるいはデュシャンやシュルレアリスムの派手派手しく禍々しい作家群の陰で、どちらかというと目立たない地味な存在ではあるような感じなのだが、20世紀の造形作家としては、ずば抜けて作品の質の高い、モダニズムの作家群において最重要クラスの優れた芸術家であると言っていいと思う。逆にアメリカの戦後現代美術は、このアルプの活き活きとしたバイオモルフィックな「抽象」探究の、しかも実直にして繊細なその職人仕事の凋密な仕上げに宿った「ユーモア/ポエジー」の意義を掴み損ねたのではないか?(抽象表現主義に足りないのは端的に「ユーモア」なのではないか)という気がしてくる。もっともエルスワース・ケリーあたりにはアルプの継承を感じるけれど。
展示作品は最初期のオーソドックスな油彩自画像、裸婦素描から、コラージュ、ドゥローイング、木版、リトグラフ、タペストリー、絨毯マット、クッション、木製レリーフ、ジュラルミン、大理石、ブロンズ彫刻と多岐に渡るが、それぞれが精緻な探究の証としてタガの狂いもなく緊密/有機的に連関し合っていて、その、ことに彫刻作品のフォルムのどこから観ても優雅な、多次元的な豊饒さには、心底驚かされる。立ち去り難く、おもわず手で触り、頬ずりしたくなるようなフォルム。
展覧会にいって、ことに現代彫刻の場合、この作品「欲しい」と思うことは本当にめったにないが、アルプの作品に関しては、本当に「手に入れたい」という欲望を感じる。
アルプといえば、ダダの創始者のひとりであり、シュヴィッターズにコラージュ技法を伝授したというくらいだから、その20世紀美術における影響力の甚大さを伺い知れるというもので、マティスの切り絵シリーズも、アルプの影響のように見えてきてしまったのだがどうなのだろう。
ともかくも、一旦伝統を切断した上で、詩とともに歩み、オブジェ言語という日用品と人体を繋ぐ独自の方法論を編み出しつつ「生命」のフォルムにこだわり、造形言語の有機的な連関/展開を地道に探究しつつ、そのメタモルフォーゼの可能性を追い求めるに、アイデア/プロセス勝負ではなく、実際に「結果」として凋密な作品の数々をものにした芸術家に大きな畏敬の念を感じる。
それから、同時サブ企画の「矢代幸雄資料展」。地味、渋いといえば、そうなんだけれど、非常に興味深く観た。恥ずかしながら、いままであまり気にしたことのなかった、ボッティチェルリ研究で世界的な水準を達成した美術史家、矢代幸雄(1890-1975)の若き日の水彩画(これが凄くいい)や著書、研究ノートや書簡、美術工芸コレクション、遺品など。西洋古典美術研究の極みにおいて日本美術の特質を探究したひとなのだった。
これまた実直精緻な研究ノートを覗き込む。今日は喝を入れられた感がある。]]>赤塚不二夫ふたたび(2) http://livinity.jugem.jp/?eid=91 2005-02-09T01:28:11+09:00 2005-02-09T06:10:37Z 2005-02-08T16:28:11Z
すこしリラックスして赤塚不二夫を巡って、おもいつくままつらつらと書いてみる。そもそも私は子供の頃、「おそ松くん」に始まり赤塚マンガとそのテレビアニメ版をリアルタイムで享受していた、あるいはシェーっ!のポーズに始まり、飽かずノートや教科書の隅っこにベ... d 考え
すこしリラックスして赤塚不二夫を巡って、おもいつくままつらつらと書いてみる。そもそも私は子供の頃、「おそ松くん」に始まり赤塚マンガとそのテレビアニメ版をリアルタイムで享受していた、あるいはシェーっ!のポーズに始まり、飽かずノートや教科書の隅っこにベシやケムンパスやニャロメを描いていた、何度も言うように極めて標準的な読者/受け手であったにすぎない。私はマニアでも何でもないのだ。
とはいえ、「赤塚不二夫120%」をちびちびと読んでいると、赤塚マンガのレア物を渉猟するというようなこととはまた違った意味でマニアックな気分になることもたしかだ。いや、マニアックというと、やはり何かが違ってしまう。
まあ、しまいには、なんだっていい(のだ)という気分にもなってくるのだが、その本にちりばめられた赤塚不二夫の顔を眺めていると、つくづく芸人の顔だなあ、と思う。もっといえばコメディアンの顔だ。
ところで、たけくまメモの、元祖アニメーターW・マッケイをめぐる解説の中で、そのキャリアは”マンガ芸人”からはじまったとあり、ひどく心を揺さぶられるものがあった。マンガ芸人、読んで字のごとしにマンガの芸人、つまり人前でマンガを描きながら、笑わせるなり、魅せるなりするボードビリアン/大道芸人である。
マンガ芸人ときいて、私の脳裏にうかぶのはなんと言っても水森亜土で、若い人はご存じないとおもうが、、なんて思ったら大間違いで 、ともかくも、そういえばピカソの映画で、画家がガラスの向こう側から即興で絵を描いていくシーンは、まるでさながら水森亜土のようであり、マンガ芸人のようではなかったか。
絵を描くには大まかに言ってふたつの要素というか傾向があって、ひとつは人前で音楽をやるように絵を描く、つまりライブペインティングの要素で、それをかりにシャーマン系とするなら、もう一方は、アトリエ/スタジオに籠もってけして人を立ち入らせないスタジオレコーディング/エンジニア型というか学究型、そちらを錬金術師系とでも呼ぼうか。それは、「この画家は錬金術師系」とはっきり分かれてしまうようなものではなく(そういう画家もいるだろうけれど)、絵描きの裡にせめぎ合いながらある原型質のようなものであり、「近代」型かならずしもスタジオ籠もりの錬金術系と割り切れるようなものではない。しかし、やはり「近代」にはライブ(生もの)の抑圧ということがついてまわることはたしかである。その抑圧において「生もの」が思っても見なかったような相貌を見せる。それは野放図なものよりもずっと生々しい。
造形による芸道。たしかに音楽とちがって造形というのはライブには向かないということがある。たとえば白隠和尚は乞われるままに、その場で達磨絵を描いてやっていたのだろうか?いわば「サイン/徴/証」である。それはつまり文字なのであり、そもそも絵というものが洋の東西問わず、文字を読めない者のための「絵解き」であったことを忘れるべきではないのだが、西洋はそこから絵画の自律性を求めだし、東洋、というか日本の場合は、場との一体、用途との一体を心がけてきた。それは「仮」のものであり「借り」のものであり、そこに描かれるのは「借景」である。それにしたってやはりそこには諸仏神仙の宿る深遠な「景色」あるいは「形・色」、と、気楽な戯れ絵、つまり肩肘張らない漫画との区別はずっとあったことだろう。だから白隠和尚の達磨絵などは、禅においての不条理の条理、戯れ絵と紙一重の相貌をなしつつ、実際一体どっちなのかという問いをも、というより、こそ、無効にする。
白隠慧鶴「達磨像(部分)18世紀
いや赤塚不二夫の話なのだ。マンガ芸人と言うところにひっかっかっているのである。風土、宗教性の如何に限らず、造形、いや、絵の芸道というのは、芸能としての絵描きというのは脈々と存在してきた。だからこそのW・マッケイなのだし、赤塚不二夫なのだ。
シャーマニズムも錬金術も、この世ならざるものへの変容、この世ならざるものの降臨に関わる技法という意味では根は同じといえるわけだが、ここで芸能の根底にシャーマニズムを見るとすれば(芸術の根底に錬金術ありともいえる)、そこには少なくとも音楽/踊り/劇/語りの渾然一体があるわけである。
「120%」を読んでいると、いかに赤塚不二夫が「酒」という殆どこの場合”メディア”といっていいものを介して、音楽/踊り/劇/語りに触れ続けてきたかがよくわかる。その”人脈”の壮麗さは前回見たとおりだが、その遊びの空間においていかに巨匠がインスピレーションを授かっていたか、ということ。そのことは前衛芸術からの影響と言うこととは重なりつつもまた違ったフェイズをなすのであるが、しかし、ひとたびアメリカのならずとも50〜60年代以降の現代美術に目を向ければ、イヴ・クラインのパフォーマンスにしろ、ポロックのドリッピング絵画のパフォーマンスヴァージョンとしてのジョルジュ・マチューのアクションにしろ、ジム・ダインのボードヴィルショーにしろ、あるいは具体にしろ、祝祭空間、あるいは儀式空間における芸能=シャーマニズムとしてのアートということが、爆発的に取り沙汰されるわけだ。つまりモダニズムの「自律」とは逆方向の道筋、母性への回帰として。
赤塚不二夫が本の中で臆面もなく自分はあきらかな「マザコン」だと告白しているのも実際印象的なのだった。そこには満州奉天から引き上げてくる際に、動乱の中を命からがら気丈夫な母親(写真で見るとバカボンのママにそっくりの美人)にしがみついて日本に到着した逸話が語られ、その後の進駐軍の足下を走り回りながらの悪ガキぶりと性への早熟ぶりが語られる。ふと”いじめ問題”に触れて、昔からいじめはあったが、自分の場合もやはり満州帰りということでよく苛められたが、あるときガキ大将に描いたマンガを献上すると、その才能を認められ、いじめがピタッと止んだという話があり、じつにコトの本質を突いていると思うのだが、そのあたりにひとつマンガ芸人のルーツはありそうな気がし、それにつけても、なにより芸能といえば「母」なのだなとつくづくと思うのだった。
(つづく)
Jim Dine Vaudeville Act/The Smiling Workman 1960 New York ]]>赤塚不二夫ふたたび http://livinity.jugem.jp/?eid=90 2005-02-08T02:59:29+09:00 2005-02-09T10:38:44Z 2005-02-07T17:59:29Z
思えば「かまくら 安」さんの「マンガ家というものをいかに考えるか?」の投稿が発端となり、「たけくまメモ」におけるアニメの始源の発掘への視線も加わりつつ以来あたかもマンガ/アニメ論のフィールドと化した感のあるここのところの当ブログであったわけだが、以... d 考え
思えば「かまくら 安」さんの「マンガ家というものをいかに考えるか?」の投稿が発端となり、「たけくまメモ」におけるアニメの始源の発掘への視線も加わりつつ以来あたかもマンガ/アニメ論のフィールドと化した感のあるここのところの当ブログであったわけだが、以前コメント欄でそれとなく触れたごとくに「マンガについて考えること=”芸術”の核心を撃ってしまうこと」というのは、たしかだったという思いを禁じ得ない。
ポップ/抽象表現主義/マティスをめぐる蕩尽亭さんとの対話のなかで「ダダ・シュルレアリスムの意義を捉え損なった小林秀雄」という問題提起が氏から為され、そこに呼応させるかたちで出したいわゆる「赤塚不二夫=未来派」説で言いたかったことはといえば、まさにその通りひょっとして小林秀雄、ひいては戦後知識人あるいは日本近現代の「芸術/文学」が捉え損なったものが、赤塚マンガにこそ充満しているのではないか?ということに他ならなかった(大鉈もいいかげんにしろという反論もあるかとは思うけれど)。たとえば「ウナギイヌ」、それをシュルレアリスムと関連づけないとなれば、そっちのほうがよほどムリがあると。
さてそこで今回は、「天才 赤塚不二夫」 のエントリーの文字どおりに続きとして、赤塚マンガと前衛芸術の関係をもうすこしつっこんで辿ってみたい。
ちょっと前、さる女性(がきデカについてコメントを頂いた)から赤塚不二夫に関する一通のメールを頂いた。女性からのメールとはいえ残念ながら別に人に知られて困るようなことは一切ないので(笑)、ちょっと引用します。
昔TVで赤塚不二夫の60歳の誕生日会が放送されて見ていたのですが(ナレーター:タモリ(笑))トレードマークの帽子に温泉浴衣で扇子片手に絶叫しながらバンザイの音頭をとっていたのは泥酔した浅葉克巳氏でした。となりには赤いチャンチャンコの赤塚センセ。
(略)
浅葉氏しかり、赤塚氏しかり、60年代のアメリカのアートシーンを消化して日本で体現していた数少ない日本人の一人としてとらえてもいいのかなと、個人的に思っています。グラフィックデザイナーと漫画家ってとこもなんかイイね。
あと73年のレッツラゴンか74年のギャグゲリラの頃赤塚不二夫はNYにいって相当いろいろ影響を受けていたという話をどっかで読みました。
当時のアメリカのアートシーンや解体されていく文化にも影響を受けていたと考えてもおかしくないですね。
(略)なんかしらNYでブレイクスルーな出来事にであったのでは。
これをくれた女性は、ある美術教育の現場とのかかわりおいて、浅葉克己氏との遠からぬ縁があるゆえ、その推理洞察の説得力も増すのだけれど、それはともかく実に興味深い話であることはたしかなのだった。
まずは、タモリ。ジャズ界の異端児、山下洋輔や中村誠一を介したハナモゲラ語飛び交うその誕生までの経緯は、相当人口に膾炙しているはずなので、改めて触れるまでもないと思うとはいえ、いちおう蒸し返せば、山下洋輔ファンの青年タモリ、その故郷福岡時代、山下一座のジャズライブの打ち上げに突然闖入し、その天才的なアドリブ芸で座を大いに湧かせ、鮮烈な印象を与えるも、後に「あいつを東京に呼ぼう」ということになり、山下/中村の呑み友達である赤塚不二夫の家に、特有の厚かましさ全開で住みつくことになり、そこから芸能界への手がかりを掴んでいったという有名な逸話。
なにしろ、ちょうどいま「赤塚不二夫120%」という自伝的エッセイを改めて読んでいるところなのだが、そこでしみじみと回顧されているように、マンガ好きなら知らないとは言わせない「トキワ荘」つながりの巨匠たちは当然のこと”人間好き”の赤塚氏の酒を介した人脈の壮麗さ、、ざっと軽く挙げても筒井康隆、吉行淳之介、野坂昭如、井上ひさし、田中小実昌、小松左京、そして横尾忠則、件の浅葉克己、黒田征太郎、篠山紀信、唐十郎、四谷シモン、つまりは戦後日本文化史におけるきら星たち揃い踏みといった感があり、ことに唐十郎が「おそ松くん」の原作を用意していたなんていう話(かわりに赤塚不二夫が”状況劇場”の出資者-パトロンであったとは!)、四谷シモン に”同棲生活”を迫られたなんて話には唸らされる。
かりに唐十郎、四谷シモンの名だけを取り出してみても、そこにはすぐに澁澤龍彦、瀧口修造、マックス・エルンスト、ハンス・ベルメール、と芋蔓式に名が連なるのであり、さらに横尾忠則の名を加えれば、60年代新宿アングラカルチャーの内訳としてのダダ・シュルレアルとポップの混淆の精髄を赤塚マンガが体現していたと考えたところで少しも無理がない。おそ松くんの背後に唐十郎なのだから。
ダダ・シュルレアリスムの要諦とはすなわちオートマティスム(理性の支配を受けない”無意識”-野性の自動記述)とディペイズマン(思わぬ出会いによる異化相乗作用)の詩学であるといえる。それにメタモルフォーゼ(変身/変容)の美学。そして未来派の「スピード/ダイナミズム」。そうきけば、それをそのまま赤塚ギャグマンガの特徴であるといっても差し支えないではないか。そしてそれを纏め、広めるは”ポップ”。
話をアメリカに持っていこう。
最近、リキテンシュタインのバイオグラフィーを読んでいて、すでに50年代において、そこにアラン・カプロー、クレス・オルデンバーグといった前衛アーティストとの交流が頻繁に記録されていて、ポップやハプニングスが60年代に突如降って湧いたイベントではなかったことがありありと実感されたのだが、もちろんのことそこにはニューヨークにおける「ダダ・シュルレアリスム展」の幾たびかの開催、あるいはニューヨーク・ダダを形成したデュシャン、マン・レイ、ピカビア、そしてシュールの”親玉”アンドレ・ブルトンやエルンスト、マッソンの渡米の甚大な影響があったはずだ。
ヨーロッパからの移住/影響(遺産相続)という意味で言えば、抽象表現主義の教師たるハンス・ホフマンの亡命や、バウハウスの教師であったヨゼフ・アルバースのはじめたブラックマウンテン・カレッジが極めて重要であるだろう。そこにかかわったメンバー、じつにアンリ・ミショー、オルダス・ハクスリー、バックミンスター・フラー、デ・クーニング、ラウシェンバーグ、ウォーホル、マース・カニンガム、ジョン・ケージ、、、とまさに目眩を起こしそうな顔ぶれである。
(爆発的に固有名を羅列しすぎたが、じっさい”美術”における常識的なラインであって、いちいち説明してたらきりがない。本当なら浅田彰あたりが岡本太郎を素直に見習って、80〜90年代に中学生にも分るような現代美術の啓蒙書を書くべきだったのではないか?現代文化の理路をわかりやすく説くべきだったのではないか?なんて言ってもしょーがないが)
要はアメリカ現代美術というのは20世紀初頭のキュビズム/フォーヴィズム、抽象、バウハウス、ディ・スティルなど建築/デザイン運動、未来派、ダダ・シュルレアリスムぬきにありえないわけで、その根をたどれば印象派(後期印象派)における浮世絵、すなわち当時のマンガの与えた巨大な影響をどうしたって考慮しないわけにはいかない。浮世絵抜きのマネ、ドガ、モネやゴッホというものを考えられるか?ということ。そして、写真、映画、雑誌、広告、レコード、ラジオ、テレビ「複製技術時代の芸術」たちである。
赤塚マンガと前衛芸術とのかかわりを考えることは20世紀とはなんであったのか?を考えることにも等しい。それで最近、ネット上にかぎらずさまざまな言説に触れるにつけ、いったいこのひと”20世紀”をなんだと思っているのだろう?などという茫漠とした思い(ニュートラルな意味で)に囚われることしばしばなのだが、アメリカとはなにか?ということもあり、そんなことも含め(られるかどうかわからないが)、次回へ。
(つづく)]]>マンガ/アニメをめぐる連絡事項 http://livinity.jugem.jp/?eid=89 2005-02-07T13:33:49+09:00 2005-02-07T11:31:20Z 2005-02-07T04:33:49Z
蕩尽亭さんのところで、「マンガと動くもの」というタイトルでマンガ/アニメをめぐる近代文明論/現代文化論が展開されている。氏は哲学者/ベルクソン研究者の立場から「すべては運動であり、変化である」というベルクソンの哲学的主張を軸に、「マンガ/アニメ」という... d 番外
蕩尽亭さんのところ で、「マンガと動くもの」というタイトルでマンガ/アニメをめぐる近代文明論/現代文化論が展開されている。氏は哲学者/ベルクソン研究者の立場から「すべては運動であり、変化である」というベルクソンの哲学的主張を軸に、「マンガ/アニメ」という20世紀以来の大衆文化の美術史的、文明論的意義とその日本の知識人層における捻れを深く緻密に洞察されています。是非、ご一読を。
そして一方、たけくまメモ のほうでは元祖アニメーター、W・マッケイに関する記事が完結し、こちらも実に興味深い文化論として、おおいに刺激を受けるのであります。
私もいまやってる焼鳥屋の看板関係のシゴトが今日中にとりあえずのところが終わり次第(笑)、論を展開していきたいと思っております(が、とりあえずの目の前のシゴトが終わったからと言ってヒマになるわけでもないのだった-汗)。
以上。
#さきほど、葉山御用邸まえの自動販売機でタバコを買っていると、護衛団の青年がツツーっと来て、
「これから天皇陛下が御来邸となりますが、、大丈夫ですか?」
「大丈夫ですかって、なにが?」
「いえ、ご到着は1時半ころになりますが、お出迎えとかは?」
「いや、とくに」
そんなに不審者にみえるのかね?私は。]]>国芳のヘタウマ画/荷宝蔵壁のむだ書き http://livinity.jugem.jp/?eid=88 2005-02-06T22:41:42+09:00 2005-02-07T17:11:09Z 2005-02-06T13:41:42Z
一回アップした仕事中のわけわかめな妄言が恥ずかしくなったので、削除。
それで、まじめなつぶやきシリーズとして、今やはりどうしたって気になる幕末浮世絵師、国芳の極めつけの異色作を取りあげてみる。
巧い絵描きがわざと下手を装って描いてるという意味で... d お気に入り
一回アップした仕事中のわけわかめな妄言が恥ずかしくなったので、削除。
それで、まじめなつぶやきシリーズとして、今やはりどうしたって気になる幕末浮世絵師、国芳の極めつけの異色作を取りあげてみる。
巧い絵描きがわざと下手を装って描いてるという意味では、まさにこれぞヘタウマ画と言っていいと思うのだが、なんでもこれ当時の出版界への厳しい規制の網をかいくぐるべく描かれたという。しかし、それが怪我の功名で、ひどくモダンな表現に至っている。
武者絵、諷刺戯画、西洋風風景画、庶民的な美人画、パノラマ絵、猫絵、和製アルチンボルドともいうべき「人をばかにした人だ」の奇想画、まさになんでもこい、ってステーションギャラリーの展覧会は行きそびれたのが悔やまれるが、国芳ワールドは実に楽しい。
補足:むだ書き三枚組の別版のディテールを。
なんだこれはーっ!!というか、たぶん猫なのだが、こんなやつが江戸幕末に描かれたとおもうと驚き。大でき。クニヨシGJ!!
はん!!!
参考図版:和製アルチンボルド 「人をばかにしたひとだ」]]>Brixton Photos/urban75 http://livinity.jugem.jp/?eid=84 2005-02-04T16:57:28+09:00 2005-02-04T18:28:50Z 2005-02-04T07:57:28Z
前々回のウォールペインティングに関するエントリーに繋がるかたちで、ロンドンのブリクストンという街の風景を集めたサイトページを紹介します。
BRIXTON SIGNS & GRAFFITI
いずれ、このところ展開してる「マンガ論」が一段落したら触れてみたいと思っている、個... d お気に入り
前々回のウォールペインティングに関するエントリーに繋がるかたちで、ロンドンのブリクストンという街の風景を集めたサイトページを紹介します。
>BRIXTON SIGNS & GRAFFITI
いずれ、このところ展開してる「マンガ論」が一段落したら触れてみたいと思っている、個人的に馴染み(というか思い入れ)の深いロンドン・サウスウエストのジャマイカンタウン、ブリクストンなのですが、そこの看板やら落書きやらを集めたサイト。ちょっとマニアックな部類、というか、一般市民的な了解から言うと、いちおうデンジャラスゾーンなんで、広い共感は得られそうにないかもなのですが、個人的にはたまらなく好きな風景=街の感じ、ということで。
]]>写楽の相撲絵 http://livinity.jugem.jp/?eid=83 2005-02-03T00:42:37+09:00 2005-02-03T03:36:05Z 2005-02-02T15:42:37Z
節分ということもあり、この絵。
写楽作「大童山」。
どうしても”がきデカ”を連想してしまう。もしくはそれに類したマンガを、、。
この絵があったサイトの説明に拠れば、、、
『大童山』とは・・・
羽州(山形県)の村山郡長瀞村に生まれた童で、8歳で、体... d 考え
節分ということもあり、この絵。
写楽作「大童山」。
どうしても”がきデカ”を連想してしまう。もしくはそれに類したマンガを、、。
この絵があったサイトの説明に拠れば、、、
『大童山』とは・・・
羽州(山形県)の村山郡長瀞村に生まれた童で、8歳で、体重が21貫500匁(約81kg)、身長3尺9寸9分(約151cm)もあったといわれています。
相撲を取るわけではなく、土俵入りを披露しただけの様ですが、大いに江戸の人々をわかせました。土俵入りやその怪力ぶりが描かれています。
とのこと。
デカいガキという意味でなら、まさに「がきデカ」なのだが。。。]]>桜木町ガード下のウォールペインティングに関して http://livinity.jugem.jp/?eid=82 2005-02-02T18:26:41+09:00 2005-02-02T12:36:30Z 2005-02-02T09:26:41Z
たなbさんとこで桜木町ガード下のウォールペインティングに関するトピック があがってたんで、おっと思い、ひとことコメントしようと思ったら、コメント欄が文字化けして能わず(氏によればブラウザはネスケ推奨とのことでしたが、以前メモリ節約のため削除してし... d 考え
たなbさんとこで桜木町ガード下のウォールペインティングに関するトピック があがってたんで、おっと思い、ひとことコメントしようと思ったら、コメント欄が文字化けして能わず(氏によればブラウザはネスケ推奨とのことでしたが、以前メモリ節約のため削除してしまったのだす)。どうせだから、ここで触れてみたい。
それで、グラフィティ潰して新たに描かれた公共事業としてのロコサトシとその仲間達の壁画ですが、仰るとおり、まじ(ださい+つまんない)=ウンコなかんじですね、見るからに。
けれど、ロコサトシってひとは日本のウォールペインターの草分け(パイオニア)と言われていて、もともとここに落書きはじめたのはロコさんだったわけでしょ、そういえばたしか。てなわけで元祖的存在であり、ある意味ヨコハマの地元名士ですらあるわけなんだろうけど、でもはっきり言って、なんでそんなに?というくらいセンス悪い。日本洋画壇の重鎮、絹谷幸二にせまるものがある。パイオニアならいいってもんでもないな。
潰された”グラフィティ”、まあグラフィティ自体は、ムカシっから生理的に好きなんだけど、でも「いちおう犯罪ですから」、なもんで、それについて思いっきり書きたいような、いっそなにも書きたくないような、歯がゆく複雑な気分がつきまとう。
端的にヒップホップカルチャー=(ラップ+ブレイクダンス+グラフィティ)であり、歴史の文脈がぜんぜん違う日本では特にむずかしい。ヒップホップ/グラフィティは「土足文化圏」じゃないと、きつい。というか、世界的に言っても、歴史が一巡してしまったいま、ヒップホップカルチャーはじめサブカルチャー表現というのは(つまりサブがメインになってしまったいま)大きな曲がり角に来ているわけなのですよ、とっくに。ということがあるわけだが、グラフィティというのは知る限りある種のバトルであって、ハンパな絵はたちまちに上から描き潰されてしまう。ラップにしてもブレイクダンスにしても、いかにかっこよく相手を罵倒するかっていう「勝負」の世界なわけで、そういう意味では桜木町ウォールペンティング、「ロコサトシ」というフリダシに戻ったところで、それが日本の”リアル”(現実)なわけで、今後の展開が気になるところだ。歴史巡ってフリダシ状態なわけですよ。”始源”に立ち合っている。そういうことじゃないでしょうか。
いずれにせよ、グラフィティ/落書き/壁画って話になってくると、、いずれマンガ論-絵画論的にも避けて通れないことになってくるだろうと。いや、ちょうど抽象表現主義とアーティスト失業対策としてのFAP(連邦美術計画=ニューディール政策の一環)における壁画制作の重要性についての話しようかなと思ってたとこなんですけどね。
冒頭の写真は、ロンドンの北の町(名前わすれた)で、フェラ・クティの追悼コンサート観に行った(そのためにロンドン行ったわけじゃないけど)ときに写したもの。
下のはやはりロンドンの、その筋では超有名な老舗インディーズレーベル、rough tradeの店先。ウエストインディーズのカーニヴァルで有名なノッティング・ヒル界隈っす。
壁画ってことで引っぱり出してきました。
#追記:ヒップホップ的な文脈に寄り添って、おめーらださい、ヤメロって話でもないです。実際見てないんで、ウンコじゃないのもあるかも知れない。これから生まれてくるかも知れない。怪我の功名というのもあり、なにがどう展開するかっていうのは、じっさいわからないです。
]]>