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L i v i n i t y<living x unity>
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2004.08.31 Tuesday
RIMPA 5
きりがないので、とりあえず完結 ●前回の、光悦の墨跡を「刺身のつま」よばわりは、言い過ぎ。しかし、土台、日本人といえども、それこそ、この21世紀に光悦の書を「読める」人など、ほとんどいないわけで、その土台読めないと言うことを加えての話でもある。 その点、絵は易々と時代を超える。書画一致と言う。その伝でいうと、画が書に一致するよりも、むしろ書のほうが画に一致するほうが、自然だとも言えるだろう。時が経ちその文字を判読できないのであれば、尚更。それゆえ、俵屋プロダクションが繰り出してきた革新的なバック(トラック)を乗りこなそうと手綱を操る光悦の息遣いが、より生々しく聞こえてくるようなのだ。 それは素直に「真剣勝負」と呼ぶべきものだろう。レコーディングでいえば、一発録り、その後はない。あとからデジタルで修正するわけにいかない。便利な誤魔化しツールはない。宗達も宗達だが、光悦も光悦だ。この対決は本当に凄まじく美しい。余裕めかして尊大なことを書いているが、その場では私だって、そのリズムについて行くのが精一杯だった。 ●職人として腕がよいということは、すなわちその製作物が美しいということ。宗達の仕事にはそんなきわめて健康的な、腕の良い職人としての揺るぎ無い自信が漲っている。迷いがない。幾多の模写で培われた画技、扇絵職人として鍛え抜かれた空間把握と画材(マテリアル)への通暁。そこにことさら何を足し、こねくりまわす必要があるのか。自己韜晦があたかも初期設定値になっている現代人の目に、そのあっけらかんと突き抜けた自分への信頼は、やはり眩しい。 ●私は宗達の仕事にアフリカ的なリズムを感じる。ある種の江戸の文様とアフリカの文様とは紙一重である。光琳という後代のリミキサーによって江戸の美意識を深部で決定づけたともいえる宗達の繰り出すダイナミックな造形は、私にとってアフリカ的なのだ。弥生と縄文の対比における縄文性の横溢と言ってしまうと何かが違う。だいたい日本の知識人はあまりアフリカ的なものへと向かわない。「身体で判る」とかという類のことをいったとたん、この「反動/右翼/J回帰」「ロマン主義/神秘主義者」「ユング派」め、と、いっせいに槍が飛んできたりして、そっちのほうがよっぽど野蛮だ。 ●俵屋プロ製作の「下絵和歌仙」のシリーズにおいて、「蔦」とか「梅」とかのバリエーションがあるのだが、版木を反復して使用した、その仕方は、ほとんど”ダブ・ミックス”に近いのではないかと私は思う。 Aという版木があるとしたら、そのA全体の複数の要素のうち、いくつかの部分がその都度抜かれながら、その部位を変えつつ反復し、プリンティングされる。言葉で説明すると判りづらいが、ようするに複数のトラック(ドラム/ベース/ギター/キーボードといった)をその都度、フェイドイン、フェイドアウトしながら、楽曲を再構築してゆくダブの手法、あるいは基本リズムをループしながら、サンプリング音源を重ねて行くヒップホップのトラックづくりに通じる。その仕方がまた「アフリカ」を感じさせるのだ。 宗達は剽窃の達人、さまざまな古典(彫刻も含む)からの引用の達人である。 ジョルジョーネ、ティツィアーノ、ベラスケス、ハルスからの引用、あるいは参照に明け暮れた西欧絵画の革新者、マネを引き合いに出すまでもなく、東西問わず、絵画の歴史とは、一面剽窃の歴史でもある。「芸術家は無から有を生み出す」というが、「無から有を生み出」したとは誰のことなのか、私にはいまだわからない。 サンプリング/リミックスと新しげにいうが(いや、20年前の話)、絵画の歴史はそのままサンプリング(引用)・リミックス(再編集)の歴史だ。 ●「琳派」の再考とは、すなわち「近代」の再考へと通じる。祖型、宗達/光悦/光琳をひととおり、琳派展の展示は酒井抱一、鈴木其一らの江戸琳派へ、近現代日本画へ、そしてジャポニズムや装飾性に拘った欧米の画家達のセクションへ、最後、日本現代美術へと至る。 美術あるいは絵画における「装飾性」とはなにか?私なりに満足のいく答えを探してみる。あっけなく言ってしまえば、それはつまり「音楽性」のことであり、「リズム」の重要性のことではないだろうか?近現代ではなんと言ってもマティスの「ジャズ」が、それを高度に実現している。その画面はとてつもなく清々しい。(私はときどき思う。マティスひとりでどれだけのイラストレーター、デザイナーを喰わせているか、を) 思えば、今年のはじめ、日本橋の高島屋で「若沖と琳派」展を観て、いたく江戸琳派に興味をそそられた。そのとき感銘を受けた酒井抱一、鈴木其一も、今回の展覧会では、前者は「陰湿」、後者は「姑息」と、まるでいい印象はなかった。宗達の真骨頂と並べられてしまうというのは、非常に残酷な話だ。 では、光琳の真骨頂が今回出品されていたかというと、ちょっと疑問で、これは入れ替えを経た展覧会後期に期待したい。 琳派RIMPA出品リスト http://www.momat.go.jp/Honkan/RIMPA/list.html |