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地震で考えたこと

ひさしぶりに海を眺めていた。
海は波がなく、とても穏やかで、ほとんど湖のような静けさだ。快晴のせいで、群青色に染まり、水平線がくっきり浮き立っていて、対照的に薄もやのかかった富士の白い頂きが、雲のように浮き上がっている。たぶんデジカメで撮ったとしても判別できなだろうあまりにも微妙にうっすらと見える富士の山頂がずいぶんと高い位置に思え、海の濃い青との対比で幻のようでもある。腰掛けた上をトンボが飛び交っている。
ウエットスーツを着て、ひとりサーファーがロングボードで海に入って行く。こんな波のない日に海にはいるのは、初心者だと思うけどパドリングの練習をするには、こういう日はうってつけなのだろう。


ニュースで見る新潟の震災の様子が痛ましい。
避難されている方々のストレスの問題というのは大きい。避難生活にあたっての、食と睡眠、排泄/入浴の衛生を保証する物資設備の速やかな提供とともに、心的ストレスを軽減する技法(=アート)が必要という気がおおいにしてくる。というのは、一箇所の施設で集団避難生活されている方々の中に、ひとりでもふたりでも、ヨーガなり野口体操なり、自彊術なり、なんなりのメソッドをちゃんとマスターしている人が居て、そのひとが伝えて行くかたちで、不安にこわばった心身をすこしでも解きほぐす時間を持てたら、そこでの在りようはだいぶ変わってくるのじゃないだろうかというようなことを考えてしまったのだ。
もちろん、唯物論的な意味での救援は必要であり、必須だ。そのうえで「パンのみにて生きるにあらず」という「パンのみ」ではないところでの、「心」の問題、というか、やはり「心身の」としてしめされるところの問題がある。
それについて、極東ブログのfinalvent氏は、避難民集団生活における「心のふれあい」、”コミュニケーション”の必要というような話はうざくて、私だったら、そういうとき、「ひとり」になりたくなる、本を読みたくなる、救援物資のなかに「本」も必要だみたいなことを書いていて、それはそれですごく頷ける。「ひとりになりたくなる」というのは私もたぶんそうだろうと思うから。しかし、finalvent氏が、それを言うのは多分に彼が「読書家」だからであって、皆が皆、本を必要とするわけではないだろう。

「難民生活」において通常の社会生活が何倍にも濃縮され圧縮されたかたちで、あらわれるとき、心の飢えと渇きに応答するのは、何だろうか。ひとによってそれは違うだろう。本であったり、テレビであったり、音楽であったり、絵の道具であったり、甘いものであったり、酒、コーヒー、煙草、というふうに考えると、ようするに芸術文化的なものと嗜好品が日常生活の心の空隙を埋めているのだという逆向きの類推が成り立つ。それだから、それを言い出すとほとんど、その嗜好と志向とをめぐって、「必要なもの」はきりがなくなってくる。そんなことから、趣味嗜好からとりあえず自由な、「物」に頼らない、あまつさえそれを制御するような、呼吸法、ストレッチなど誰にでも応用の効く身体技法の実践的な知識は重要だなと思うわけなのだった。
| 考え | 16:02 | comments(0) | trackbacks(0) |